「きれいごと」が並ぶ公約、どう見極める?佐藤卓己・上智大教授が考える方法は…「セロンよりヨロン」「悪さ加減の選択」
――そうした中で、これからの時代を担う若者にメッセージをお願いします。
佐藤 未来を見すえた議論をかわし、輿論を担うのは、まさにその未来を生きる若者たちです。それで教えている大学では、学生に、「卒論を書くときは、10年後、20年後も読み返すに値する古典をとにかく一冊でも見つけてほしい」と話しています。そうした古典と出あえれば、遅延報酬として将来きっと役に立つ。そんなプロパガンダをしているわけです(笑)。
――なぜ、古典なのか。
佐藤 今、流行(はや)っているだけのことは10年後にはほぼアウト・オブ・デート(時代遅れ)になっている。これに対して50年、100年生きてきた古典の議論は、おそらく今後50年、100年たっても生きている。私自身、京大生時代、岩波文庫の古典を読む野田宣雄先生のゼミで、ランケやヘーゲルなどを読んだ経験が今につながっている。
古典って読み方に正解がないじゃないですか。それこそ聖書とか仏典、論語でもいいけど、古典は解釈によって真逆のことだって言える。だから、これをしっかり読み、あいまいさに耐えることは、耐性思考を鍛えるための実は最も近道であるんです。
さとう・たくみ 1960年広島県生まれ。京都大学文学部卒。京都大学博士。上智大学文学部新聞学科教授、京都大名誉教授。専攻はメディア文化学。
伝説的国民雑誌が体現した総動員時代の文化を描く『「キング」の時代』で2003年、サントリー学芸賞。軍人による言論弾圧というステレオタイプの見方に変更を迫った『言論統制』(吉田茂賞)、『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』など話題作も多い。昨年はメディア議員列伝の一冊として『池崎忠孝の明暗』を出版した。
(読売新聞夕刊「鵜飼哲夫編集委員の ああ言えばこう聞く」から転載)