90年代の韓国で「踊る大捜査線」は青春だった 「室井慎次」が20年後にくれた〝生きる力〟
真っ暗な劇場のスピーカーから、「ドゥーン」という長い鐘の音が聞こえてくる。続いてスクリーンに現れるのは、何の映画のロゴか。「トップガン」だ。行進曲風の軽快なBGMと共に、中折れ帽をかぶるレザージャケット姿の男のシルエットが見えたら、「インディ·ジョーンズ」だろう。しかし、日本の国民的ヒーローは、このようなすべてを必要としない。ただ一言だけでいい。「レインボーブリッジ」 【写真】和久平八郎(いかりや長介)が捕らわれていた焼却炉に置かれていた「黒澤塗料」と書かれた一斗缶 この単語を聞いた瞬間、皆の頭の中にはオリーブグリーンのロングコートを翼のように広げている男と共に、眉間(みけん)に川の字を描いている頑固おやじの顔が浮び上がる。室井慎次。彼が帰ってきた。しかも1カ月の間に「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」と2本の映画で。ありがたくてありがたくて、仕方がない。
映画を夢見た若者たちの教科書だった
1964年1月3日、秋田県本荘市(現由利本荘市)生まれの室井慎次は、東北大法学部を卒業した警察官僚だ。この日本生まれの日本人は、少なくともアジアでは20世紀と21世紀をつなぐ刑事物のヒーローなのだ。その理由をたどるために、約20年前、2学期の初めの9月ごろにさかのぼり、韓国・中央大近くの小さなアパートをのぞいてみよう。 ビデオプレーヤーに日本から持ってきたテープを入れれば、皆が息を殺す。夏休みに東京の家に行ってきた筆者を待っていた演劇映画学科の友人たち、正確に言えば彼らが待っていたのは筆者ではなく、「踊る大捜査線」だった。〝観客〟の中には「冬のソナタ」に出演し、後に日本でも活動した同級生のパクㆍヨンハのように、もうこの世にいないやつもいたが、韓国映画産業化の流れに乗って映像産業を主導する人物に成長し、今では東京の映画館のポスターや動画配信シリーズなどでよく名前を見るようになったやつも、かなりいた。そう、このドラマや劇場版は、製作現場に役者、または監督やプロデューサーとして進出することを目指していた我々の教科書であり、青春そのものだった。