八村塁が“協会批判”で揺れるバスケ界「(ホーバスHCと)ボタンの掛け違いが始まったのは…」「誰かひとりが悪者というわけでもない」
LAで対面、前向きな言葉も
今年4月、ホーバスはロサンゼルスを訪れ、パリ五輪に向けて、八村と対面した。実はホーバスと八村が直接会うのは、これが初めてのことだった。直接会って話すことでわだかまりを解き、パリ五輪に向けてお互いに協力していく第一歩になるようにという意図のミーティングだった。実際、そのミーティング自体は成功し、八村からも前向きな言葉が聞かれたという。 とはいえ、次に2人が会ったのは八村が合宿に参加した6月下旬。NBAの労使協定による国際大会前の代表練習参加日数の規制もあって、八村とホーバスが信頼関係を築くことはできなかった。 今回の八村の発言は唐突で、日本的な感覚からするとはっきりとした組織批判だったことから、ただ単に自分の不満をぶちまけたように感じた人もいるかもしれない。なぜ公の場で話したのか、なぜこのタイミングだったのかと疑問に思う人も多いだろう。 そのやり方の是非は別にして、八村の言葉をよく聞くと、その根底には日本のバスケットボールを強くしたい、次に続く子供たちのためになる活動をしたいという思いがあることは明らかだ。 八村は、若いころからアンダー世代の代表として世界を相手に戦ってきたことで自分のプレーを磨き、上を目指す視点を得ることができた。そういう機会を与えてもらったことに常々感謝しており、彼の代表に対する思いの原点はそこにある。 また、その後NCAAの強豪ゴンザガ大、そしてNBAの世界ですばらしい指導者たちに教わり、トップレベルのバスケットボールを経験してきたという自負がある。レイカーズにトレードになった後はレブロン・ジェームズを間近で見て、共にプレーすることで、バスケットボールへの向き合い方も変わってきた。そういったことを子供たちに伝えたいという思いはずっと彼のなかにある。 それだけに、日本のバスケットボール界の進む道について思うところがあるのだろう。世界のトップと渡り合うためには何が必要なのか、この先、日本人NBA選手が増えて行ったときに、どんなチーム作りをするべきなのか。そういった意見を直接、あるいは代理人を通して協会に伝えていたにもかかわらず、思ってたのとは違う選択になった。非公式に協会に伝えるだけではだめだと、公の場で自分の意見を語る覚悟を決めたうえでの発言だった。
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