ロリータファッションの起源とは? 正統派から地雷系へ、変わりゆくスタイルを紐解く
正統派から地雷系へ
1980年代後半から2000年代前半にかけて、隆盛を極めたロリータファッション。近年、街中で見かける機会は格段に減り、ロリータの人口そのものが減っているのではないかと危惧してしまう。そこで菊田氏に尋ねると、人口には大きな変化はないものの、ロリータを好む層に変化が現れているという。 元来、ロリータの発信源はブログや掲示板だった。平成を生きた多くのロリータは、見かけだけではなく「ロリータたるもの、こうあるべきだ」という精神論を重んじ、ロリータならではの精神性を自身のブログに綴った。そして、それを読んだ少女が共感や憧れの念を持ち、ロリータになる、という流れが少なからず存在したという。 しかし、2010年代に入るとブログ文化は衰退し、徐々にSNSが台頭。ロリータの情報発信・収集源はX(旧Twitter)にシフトしていった。SNSが発展していく中で、ロリータのオフ会であるお茶会の規模も縮小。大人数で1ヶ所に集まるスタイルから、SNSを通じて繋がった友人と個別に会うようになり、ロリータたちは散り散りになっていった。 また、原宿のストリートで生まれたサブカルチャーとしてのロリータは、2000年代後半に差し掛かると、アニメ好きの人々からの支持を集めるようになる。ロリータ風のアニメキャラクターの服装を模した人々によって生まれたスタイルは、“地雷系”や“サブカル系”と呼ばれるジャンルと接続。精神や世界観を重んじるスタイルとは異なるジャンルとして盛り上がりを見せる一方、いわゆる“正統派”のロリータ人口が縮小している。今では、ロリータが集まる場所も、原宿から秋葉原や池袋といったアニメの聖地に分散しているという。 さらに、原宿という街の変化と、スタイルと土地の結びつきが薄れていることが、街中でロリータを見かける機会が減っている理由だと、菊田氏は続ける。ロリータを含め、多くのファッションスタイルが原宿から発信されてきた。しかし、インバウンド客で溢れ返る今の原宿には、かつておしゃれをして友人に会うために街に繰り出していた若者が自然と集まる場所が少なくなっている。「ロリータの聖地」と呼ばれたラフォーレ原宿も、テナントの変化とともにロリータが集まらなくなっているのだ。 「たとえば、1980~2000年代のストリートスナップでは、撮影場所とそのスタイルが必ずセットで紹介されていました。しかし、現代のストリートスナップは、撮られた場所がどこであろうと、SNSで切り取られれば背景にある文脈は切り離され、スタイルだけを参考に新たなスタイルが生まれていきます。それと地続きで、街中でロリータを見かけないのは、ロリータファッションと原宿の街の関係性が希薄になっていることが理由と言えます。(菊田氏)」