ロリータファッションの起源とは? 正統派から地雷系へ、変わりゆくスタイルを紐解く
男性が作り上げた少女像へのカウンター
ロリータファッションの起源とともに、そもそもなぜこのスタイルが「ロリータ」と呼ばれるようになったのか、その語源についても考えたい。「Lolita」を辞書で引くと「性的に早熟な少女」と訳される。ウラジーミル・ナボコフが中年男の少女への倒錯した恋愛模様を描いた同名小説、またそれをもとにスタンリー・キューブリックが制作した映画「ロリータ(Lolita)」が言葉のイメージを形成していると言っても過言ではないが、実はロリータファッションが「ロリータ」と名付けられた所以は、映画「ロリータ」のポスターヴィジュアルだとされている。このことについて、「下妻物語」の原作者であり、ロリータファッションの第一人者として知られる嶽本野ばら氏は、下記のように説明している。 「そもそもヒラヒラ服が何故、ロリータと呼ばれるようになったのか?JaneMarpleを含むDCブランドが隆盛を極めた八〇年代から九〇年代、日本の服飾界には海外とは異なる独自の潮流が難れた。過剰な少女趣味。表現する用語が見当たらなかったので、誰かが深い考えもなく“少女らしさ”というニュアンスをそれに置き換えてみた。イメージはナボコフの「ロリータ」ではなくキューブリックの映画「ロリータ」でもなく、その映画のポスター。あの赤いハート型のサングラスをして赤いキャンディを舐めてる女のコの絵はカッコ可愛くてお洒落じゃないですか。 ──嶽本野ばら「ロリータ・ファッション」(2024年、国書刊行会)」 菊田氏によると「少女」とは明治時代に作られた概念だという。明治32年の高等女学校令以後、女性の中等教育が発展する中、進学する女学生を“子どもと大人の中間”として「少女」という呼称が生まれた。そして、「少女とは何ぞや」を説く“少女雑誌”が発行されるようになった。竹久夢二が挿絵を担当した「少女の友」や、中原淳一が編集者として携わった「ひまわり」や「ジュニアそれいゆ」などが有名である。少女雑誌では「少女とは、こういう物の考え方をして、こういうものを読み、こういう服装をする」というイメージがイラストで説明されており、洋装化に伴う西洋のライフスタイルを取り入れた日本の“少女”スタイルの教科書となっていた。 「明治時代に形成された「清く正しく美しく」としての少女像は、英語では「girl」ではなく「maiden」と訳されます。「未婚の女性」という意味も持つこの言葉は、“まだ誰のものにもなっていない”、“あどけなさ”という男性視点の魅力を内包しています。「かわいい」という価値観にも通じる、未成熟なものに魅力を感じる日本人男性独自の価値観で作られたのが、「少女」という概念なのです。(菊田氏)」 そして、男性目線で定義される“少女”へのカウンターカルチャーとして形成されていったのが、ロリータファッションだと菊田氏は言う。 「ロリータファッションは、少女たち独自の創作によって進化していきました。1982年から2003年まで、平凡出版(現・マガジンハウス)から発行されていたファッション雑誌「オリーブ(Olive)」が提案した洋服のリメイクという手法や着崩し方(当時「ミスマッチ感覚」と呼ばれたスタイル)が、多くの“オリーブ少女(オリーブの愛読者の総称)”に広がり、やがてそれが少女たちのインディペンデントなスタイルを作り上げていきました。ロリータファッションも、そうした少女たちのカウンターカルチャーの一つとして捉えられます。メインストリームに属さず、思い思いのファッションを楽しむことで、自分たちのカルチャーを作り上げる。ロリータは一見、同じようなスタイルに見えても、一人一人のこだわりが詰まっているのです。(菊田氏)」 他人の目を気にせず「自分ウケ」だけを追求したスタイルを貫くことが、自ずと男性が産んだ少女像のステレオタイプや価値観に抵抗する。大人の男性を誘惑し、あざ笑う小悪魔のようなイメージで名付けられた「ロリータ」ファッションは、さまざまな少女の独自性と絡み合うことで、“男性に消費されないスタイル”として進化していった。