<独占インタビュー>広島・新井、来季駄目なら引退も
7年ぶりに古巣広島への復帰を決めた新井貴浩(37)。今季は、故障もないのに94試合、打率、244、3本塁打、31打点と低迷した。このオフ阪神からは、1億円以上の減額を示されたため、新井は自由契約の道を選び、その提示額の半分以下の条件で“原点”広島での再出発を誓った。崖っぷちの男に、その決意を聞いた。 ――よく阪神時代の何分の1の年俸条件で契約したね? 「自由契約になったと同時に真っ先に広島から連絡をいただきました。まさかカープから?という驚きの気持ちでした。嬉しかったです。もう年俸なんてどうでもよかった。そこからは、失礼かと思いましたが、知らない携帯電話やメールを無視していました。だから他球団からの話があったかなかったかも知りません」 ――阪神退団時に「もう一度、競争の中に自分を置きたい」と言ったよね。それはベンチで一塁のライバルだったゴメスにライバル心をむき出しにできない自分がいたということ? 「元々、ライバルに、打つなとか、怪我をしろとか、人の不幸を待つような気持ちはありませんよ。チャンスを待つのは嫌いなんです。その上をいくまで打ってやろう、そういう気持ちをもう一度、強く持ちたいということです」 ――阪神の7年間は、あなたにとって? 「優勝はできませんでしたが、人気球団ゆえのいい面も悪い面も、経験させてもらいました。駄目なときのブーイングやバッシングは苦しかったですが、やれば甲子園の大歓声と拍手が待っていました。勝つ喜びというものが大きくなります。FAで毎年のようにいい選手が入ってきたし、(自分のライバルとなる)外国人選手も入ってきた。ベンチは派手でした。そういうプレーを身近で見れたことは勉強になりました」 ――“アニキ”こと金本知憲には今回の件は相談したの? 「カープ復帰を決めたときには真っ先に電話をしましたが、事後報告です(笑)。誰にも相談することなく決めました。金本さんは『まあ、頑張れや』の一言だけ(笑)。すべてを言わずともわかると、僕の気持ちを汲み取ってくれたんだと思います」 ――7年前、縦じまのユニホームで広島へ凱旋したときは、カープファンの大ブーイングを受けたね。覚えている? 「もちろんです。そのときは、悲しい思いにはなりましたが、くそ!とは思わなかったんです。ブーイングをしたファンの方々の気持ちは痛いほど、わかるし、逆に『ごめんなさい』という気持ちでした」