時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀
竹内まりやのプロデューサーとして
多くのアーティストに楽曲提供するほか、84年以降、妻である竹内まりやの全作品のアレンジ、プロデュースを手がけてきた。そのなかで気づいたことがあるという。 「竹内まりやは当初、曲を与えられて歌う、いわゆる歌手としてデビューしたんですが、意に沿わない活動に疲れて2年半ほど休業しました。そういうスタンスの人が復活することは、当時の日本の音楽界では非常に困難なことだったんです。幸運なことに、休業している間には河合奈保子の『けんかをやめて』(82年)など、人に曲を提供していて、『VARIETY』(84年)というアルバムから僕が全面プロデュースすることになった。その準備期間、『2年半で曲を書きためたから聴いてくれ』って持ってきた最初が『プラスティック・ラブ』(84年)だったんです。それでぶっ飛んで、『なんでこんな曲書けるのに今まで出さなかったんだ』と言ったら、『チャンスがなかったから』ってね。その後にも、どんどん出てきて、これなら全曲作詞作曲という画期的な突破口が作れると」 「ひとくちに歌手といっても、歌だけの人、作詞する人、作曲もする人、あと本業は作曲家や編曲家だけど歌唱作品を作る人、いろんなスタンスがあるんですけど、竹内まりやは、そうした歌手と呼べる全てのスタンスを経験している。しかも全てが一定程度の成功を収めているんです。『VARIETY』がヒット作となった時、僕は何を考えたかというと、同じような可能性を持った人は他にもいるのでは?ということ。だけど、チャンスがない場合が多い。僕はたまたま彼女のプロデューサーだったので引っ張り出せたんだけど。だから今でも、若いバンドとかシンガーとか、眠ったポテンシャルを生かし切れてない人はたくさんいると思います」
サブスクでの配信は「恐らく死ぬまでやらない」
音楽の聴かれ方は、半世紀の間に変化してきた。サブスクリプションでの配信を解禁しないのか尋ねると、今の時点で山下は「恐らく死ぬまでやらない」と答える。 「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」 「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるか。それがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる。表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」