阪神・中村GMの残した「今年はVできる」の遺言
親しい人の間では、「勝っちゃん」、「勝さん」の愛称で、呼ばれていた阪神のGMの突然の訃報を聞き「嘘でしょう!」と、目の前が真っ白になった。 23日、都内のホテルで阪神のGMである中村勝広氏が、心肺停止状態で発見された。この日中村氏は、球団関係者と11時30分にロビーで待ち合わせしていたが、約束の時間になっても中村氏が降りて来ないため球団関係者が部屋を訪れた。だが、応答がないため、ホテルの関係者とともに部屋を押し開けて入ったところ、部屋着に着替え、ベッドの上で寝ている状態の中村氏は、すでに息がなかった。すぐさま、救急隊への連絡が取られ、警察による検視の結果、死因は急性心不全とされた。66歳だった。 チームは先に宿舎から午後2時開始の巨人戦に備え、東京ドームへ出発していたため、監督、コーチ以下、選手には、知らさず、巨人戦の試合後に初めて悲報が伝えられた。 2012年に坂井オーナーの要請で就任した阪神GMの仕事は激務だった。 外国人の調査でアメリカへ飛び、アマチュアのドラフト情報に詳しい坂井オーナーから「あの選手を見てこい」と言われれば、地方までその選手を見にいった。ファームのゲームに顔を出し、大事な局面では、1軍のゲームの遠征に帯同。常にチームの戦力状況やコンディションに目配せをしていた。 GMの“勝っちゃん”にのしかかるストレスは、相当なものだった。FA、ドラフト、外国人……という戦力補強の部分だけではなく、「誰を切るのか」というチームの編成、来季以降を見据えたコーチ陣の組閣まで考え、常に一歩先、二歩先を見据えた動きをしておかねばならず、誠実で生真面目な中村氏は、そこに対して細やかに気を配っていた。 開幕前だった。 THE PAGEに「西岡は3番でなく2番に」という記事を掲載すると、勝さんから携帯に電話がかかってきた。 「俺も西岡の2番がいいと思うんだ。今年は他球団も決定力のあるチームがない。広島が騒がれているけれど、ブルペンは不安だし、巨人も打線は、補強されていない。今年は優勝できるチャンスなんだ。なんとかいいスタートを切ってもらいたいが、和田が考えて、やっていることにフロントが口を出すわけにはいかないだろう。出したほうがいいのかな?」 「フロントが口を出すという体ではなく雑談をすればいいんじゃないですか」 「でもなあ。和田も1年契約で勝負しているんだから。ここは信じようと思う」 バランスの人、気配りの人。中村氏らしい配慮だった。 勝さんが言った「今年は優勝できるチャンスなんだ」という言葉は遺言のようにも思える。