阪神・中村GMの残した「今年はVできる」の遺言
阪神のGM就任直後には、福留孝介、西岡剛の2人の元メジャーリーガーの凱旋獲得をまとめた。2人の獲得には、賛否はあったが、福留は故障が治ってきた今季、打線の中で、なくてはならない存在感を示している。西岡も故障に泣いたが、要所、要所で役割を果たした。昨年は、守護神のオ・スンファン、ゴメスを補強して、2人はタイトルホルダーになったが、優勝できなかったために、それらのGMとしての成功の成果は評価されず、結果論で責任ばかりを問われ、今年の株主総会では、株主から名指しでGMの責任を問われるケースもあった。昨年オフは、狙っていたFA選手に次から次へと逃げられ、結果的には、補強せずに正解だったわけだが、失敗ばかりをクローズアップされるGMというポジションへの風当たりは強かった。 「金をかけた補強に頼りすぎているという批判があるのはわかっているが、チームは勝たないといけない。ファンに納得してもらう努力をフロントが怠ってはいけないんだ」 中村氏からGMという難しい立場の苦悩を聞かされたこともある。 一方で、若手の育成についても頭を悩ませ「左打者を育てたい」と、OBでミスタータイガースだった掛布雅之氏を“復権”させて育成のポジションを任せたのも、中村氏のアイデアだった。掛布氏は、「同じ千葉出身で入団時から色々と世話になった人。勝さんの悲願だった若い選手をしっかりと育てて上へと送り出すことが、天国の勝さんに報いることだと思う」と、言葉を搾り出した。 勝さんに、最後に会ったのは、4日前の横浜スタジアムだった。 顔が、むくんだようにパンパンだったので、「ストレス溜まるでしょう。飲みすぎじゃないですか?」と話かけたら「最近、酒量は落ちた。でも、点が取れないよなあ。厳しい試合が続くなあ」と、豪快にケタケタと高笑いをしていた。 それが勝さんとの最後の会話になった。 亡くなる前夜は、自分の部屋でビールを空け、「胃が痛い」と、トレーナーから胃薬をもらっていたという。あまりにも悲しい突然の訃報は、阪神を常勝軍団とするために、戦い続けた野球人の“壮絶な戦死”だったのかもしれない。 巨人に連敗して机上論で優勝は極めて難しい数字になった。 だが、監督以下、ユニホームを着ているタイガースの面々には、今一度、勝さんの遺言のような言葉を思い出して欲しいと思う。 「今年は優勝できるんだ」 心をひとつに。ここから最後まであきらめない奇跡の弔い合戦が始まらなければ、優勝を見届けないまま天国へと旅立った勝さんの無念が報われない気がする。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)