“見ず知らずの人を尾行する”奇想天外な人間ウォッチングをアートに仕立てる奇才ソフィ・カル氏に迫る【世界文化賞】
拾ったアドレス帳を元に無断連載
大胆な手法はそれにとどまりません。カルさんは、偶然、道端で拾ったアドレス帳に名前のあった人たちを訪ね、持ち主についての聞き取りをして、その内容を無断で(《アドレス帳》1983年)として新聞の連載エッセイとして発表してしまったのです。 こちらも今の時代であれば、個人情報の無断流用として物議を醸したことでしょう。 Q 文章と写真、オブジェや映像を組み合わせる手法はどう説明されますか? カルさん: 私は毎回、儀式のようなルールを設けています。自分のベッドに他の人たちを寝かす、とか、見ず知らずの人の後をつける、とか、自分をつけさせる、とか。ときには自分が主人公の一人になって、自分の人生を語ったりもします。自分の写真には文章が伴う必要があり、文章には写真が必要で、ごく自然にその組み合わせが出来ました。どちらかの手法だけでは足りないという気持ちがあったからかもしれません。 カルさんは自らの失恋体験をも作品にしています。その『限局性激痛』(1999年)は日本で特に人気です。
日本旅での大失恋体験は日本で大人気
Q なぜ自分の痛みを芸術作品によってさらけ出すのでしょうか? カルさん: それは仕事だからかもしれないですね。私は日本への3カ月の旅が原因で、旅行の最後のところで好きな人に振られたのですが、みんな「旅行はどうだった?」「日本はどうだった?」と聞いてくるのです。旅行の話しはしたくなかったので、その代わりに振られた話をすることにして、思いついたルールが、いやになる程しつこくその話を繰り返すことでした。毎日毎日、無限にその話をすることで痛みが和らぐのではないか、自分のその話に飽きるのではないかと思ったのです。 カルさん: でも、それが作品になるとは思っていませんでした。だって、16年後ですよ。16年も引き出しの中にしまってあったんですから。1984年の出来事を作品にして、ポンピドゥーセンターに展示したのが2000年ですから。最初は単に自分の痛みから逃れるためだったと思います。 Q 多くの作品で「別れ」や「喪失」といった感情が見られますが、ご自分の身に起きたことと関係しているのですか? カルさん: 「そこにもうない物」の話が多いですね。「離れていく男」、「死にゆく母親」、「目の見えない盲人」、「盗まれた絵画」。私は幸福を感じる時、友達と食卓を囲んでいるときには観察する必要を感じません。 「過ぎ去っていくもの」、「そこにもうないもの」、「死」などに対しては、距離を置くことで対峙することができます。直視する代わりに、写真を撮ったりすることで距離を置くわけですね。なので、私はコンサートなどに行ってビデオを撮っている人を不思議に感じます。映像を撮ることで距離が出来てしまい、その場に参加した、とは言えないと思うからです。