散らばる目玉や手首をパワーショベルでかき集めてポイッ!?インドの飛行機事故現場で目撃した「ご遺体」への冷遇ぶり
1996年、ニューデリー郊外の上空で、2機の大型飛行機が正面衝突し、乗員乗客全員349名が亡くなった凄まじい事故が起きた。事故現場を取材した山田真美氏が目撃したのは、そこら中に散らばっている千切れた遺体をパワーショベルを使ってすくい上げては、乱暴に大型トラックの荷台に投げ込んでいたインド人たちの姿だった――。インドと関わり44年になる著者が、インドの知られざるダークな一面について記す。本稿は、山田真美『インド工科大学マミ先生のノープロブレムじゃないインド体験記』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 349人の死者を出した 飛行機2機の「正面衝突」事故 インドのダークな一面についてお話ししようと思う。 20世紀もあと数年で暮れようとする1996年11月12日。ニューデリー郊外の上空で、2機の大型飛行機があろうことか正面衝突し、乗員乗客全員(349人)が亡くなった凄まじい事故を覚えていらっしゃるだろうか。 一般に「ニューデリー空中衝突事故」の呼び名で知られるこの事故は、民間機の事故としては、1977年発生の「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事件」(死者数583人)と1985年発生の「日本航空123便墜落事故」(同520人)に次いで、史上3番目に多くの死者を出した事故として、今も人々の記憶に刻まれている。 この事故が起きた時、ちょうど夕食が終わったタイミングで、家族や来客と一緒にお茶を飲みながら寛いでいたところだったと思う。 日本からの電話で、「2機の飛行機が正面衝突してニューデリーの人口密集地帯に墜落したんですって?あなたのおうちは大丈夫なの?」と知らされ、驚いてテレビをつけると、BBC(英国放送協会)とCNN(米国のニュース専門局)が事故の緊急ニュース速報を大々的に報じていた。
当時のニューデリーでは、有料のケーブルテレビを含めるとすでに30局以上が受信できたのだが、BBCとCNN以外の局はのんきにヒンディー映画などを流しており、臨時ニュースのテロップを流す気配さえなかった。 ● 事故現場の村に いそいで駆けつけた 詳しい情報を知るために、ジャーナリストの友人たちに電話をかけまくって調べた結果、衝突したのはサウジアラビア航空機とカザフスタン航空機で、墜落場所はニューデリーの人口密集地帯ではなく、西に100キロほど離れたチャルキ・ダドリ村であることがわかった。 当時の私は、日本の新聞と月刊誌に、それぞれインド紹介の連載コラムを持っていた。 (実際に事故現場へ行き、この目で様子を確かめて記事を書かなくては!) そう思い立ち、友人で旅行会社社長のWさんにたのんでタクシーを1台チャーターしようと試みた。ところがWさんは、タクシーで現場まで行くのは難しいという。 「チャルキ・ダドリ村のちょっと手前に、時々山賊が出る荒野があるんですよ。もう夜だし、タクシー運転手は行くのを嫌がるでしょう。護衛を連れて、私がみずから運転して行きますよ」 山賊うんぬんに関しては、半分ジョークだったのかも知れないが、定かではない。ともあれWさんがハンドルを握り、助手席にはいざという時に山賊と戦うため(?)の護衛、私は後部座席に乗り込んで、一路、チャルキ・ダドリ村への道をひた走った。 ちなみにWさんは、かつてインドの病院で盲腸の手術を受けた際、腎臓の1つを勝手に摘出されてしまったという恐ろしい経験の持ち主だ。悪徳外科医はWさんに黙って腎臓を取り出し、高額で売り飛ばしてしまったらしい。 「そういうことが、たまに起きますからねえ。インドの病院には気をつけてください」 そんなトンデモナイ話を聞かされながら、未整備のガタガタ道を揺られること、約2時間半。幸い山賊が出ることもなく、無事にチャルキ・ダドリ村にたどり着いてみると、そこには一種異様なムードが漂っていた。 月明かりに照らされた広大な綿花畑。その上に色々なものが散乱し、生まれてから一度も嗅いだことのない、胸が悪くなるような臭いが立ち込めていた。