人工呼吸器を付けほぼ寝たきり…「脊髄性筋萎縮症」25歳男性が始めた「ひとり暮らし」 病気があっても「生きたいように生きる」挑戦
親子関係に悩んでひとり暮らしの準備をスタート
ウッディさんが入院先から実家に戻ってきたのは、高校卒業後のこと。19歳から21歳の頃には障害者雇用枠で、リモートワークの事務職に就いた。 そんな日常の中で強くなっていったのが、幼い頃から抱いていた、ひとり暮らしへの憧れ。 「うちは離婚していて父親のみなのですが、長い間、別々に暮らしていたので実家に戻った時、ライフスタイルの違いからぶつかって苦しかったのも、ひとり暮らしを考えた大きな理由でした」 ギクシャクする親子仲や好きな時間に友人を招いたり、話したりすることが難しい生活に苦しんだ結果、ウッディさんは新生活をシミュレーションしながら、慎重にひとり暮らしの準備をし始めた。 「病気が進行してきて、体力も落ちる中、このタイミングならひとり暮らしができ、新生活後もやりたいことができると思えた時期に動き始めました」 家を出たいという意志を父親に直接伝えることは勇気がいった。そこで手紙をしたため、自分の意志を表示。すると、父親は「やりたいようにやればいい」と背中を押してくれた。
2年越しの目標だった「ひとり暮らし」を実行
2023年、ウッディさんは2年越しの目標であった「ひとり暮らし」を叶えた。ヘルパーや訪問看護師、父親の手を借りる時はあるものの、スマートスピーカーを活用し、ひとりでできることを増やしている。 「スマートスピーカーを使えば介助者がいない時でも、玄関のドアやテレビ、エアコンを操作できます。今の時代だからこそ使える術。こうした工夫ができると思えたことも、ひとり暮らしを決断した大きな理由でした」 ほどよい距離ができたことで、親子仲は良好に。ひとりなのだから、しっかりしなければ、と気を張ることはあるものの夜中に友人を招いたり、好きな時間に自由な話が友人とできるようになったりし、心が楽になった。 「『絶対この時にやらないとやれない』じゃなくて、体調やタイミングを考慮してやりたいことができるようになりました。実家にいた頃より、人と触れ合う時間が増えて嬉しい」 そう語るウッディさんは、自身の病気をSNSで積極的に発信。ひとり暮らしを始めたときは、「僕は病気に人生を左右はされない 病気があってもやりたいように 生きたいように生きる」との思いを投稿していた。 現在は障害者雇用枠で働くことが難しいため、障害者年金で生活しているが、自分の力で収入を得たいとの思いから、YouTubeライブを行い、収益化を目指している。 「意見を発信する時は、自分が感じた気持ちと健常者側の感覚の両方を大事にしています。実は結構、叩かれるだろうなと覚悟していたのですが、応援してくれる人が大半で優しい世界だと感じました」