関東大震災で国が朝鮮人学生の動向調査 虐殺から民衆運動の発展を警戒か
1923年に発生した関東大震災の直後、旧文部省(文部科学省)が「朝鮮学生救護部」を設置し、被災した朝鮮人学生の調査をしていたことを示す史料が残されていた。関東大震災では流言をきっかけに朝鮮人らが虐殺された。史料からは、当時の政府が朝鮮人学生に食料配布などの支援をする一方で、迫害が民衆運動に発展することを恐れ、警戒を強めていた様子がうかがえる。 【写真で見る】軍人の言葉に赤線が引かれた「朝鮮人学生調査状況」。「虐殺」の文字も見える 史料の表題は「関東大震災被害状況調査 鮮人学生救護一件書類」で、国立公文書館(東京都千代田区)が保管している。救護部については朝鮮総督府がまとめた「震災事務報告」に部署名などの記載があるが、調査の詳細は不明だった。 史料によると、救護部は震災から9日後の9月10日に事務を開始。その後、文部省の各出張所に協力を仰ぎ、警視庁などに朝鮮人学生に関する「従来の取り扱い方並びに監視方法」を聴取したと記されている。 各出張所がまとめた被災学生に関する情報がとじられており、渋谷出張所がまとめた被災学生の名簿では、氏名や所属する学校、救護の必要性とともに普段の行いを意味する「性行」の欄が設けられている。また、寄宿先に身を寄せていた被災学生に米やみそといった支援物資を配給した記録もある。【井川加菜美】