父が語っていた 吉田沙保里の今後
■練習不足だった理由は「栄勝さんの死」だけではなかった 大会1日目、日本は3試合を戦い、そのうち沙保里は2試合目と3試合目に出場した。父が亡くなった11日からまったく練習ができず、食事も睡眠も満足にとれていなかったためであろう、肩や腕のまわりがひと回り小さく見えた。だが、力なく見えたのは、栄勝さんの死による衝撃だけが理由ではなかった。 日本で開催されるワールドカップへ向け、入念に準備をしていた沙保里だが、3月になると、すぐ左膝の内側じん帯を傷め、一週間ほど練習できずにいた。ようやく練習に本格復帰するタイミングで、次はヘルペスを患い、相手と組み合う練習ができずにいた。そして、ようやくスパーリングを始められる、と参加した合宿初日に、父が亡くなったと連絡がきた。 告別式を終え、練習ができないままのぞんだ計量後、自分より軽い階級の選手とスパーリングをしたところ、「喉から血が出そうなくらい」に疲れ、圧力を感じたことで沙保里自身、不安を感じていたという。ところが、いつも以上に勝つことへ純粋に集中できたからか、マットに立ったときの頼りなさを感じさせない試合運びで、女王らしい勝利をあげていった。大会が進行するなか、日本チームには、上昇気流しか感じられなかった。 ■五輪3連覇の伊調馨も不在 逆境の中で日本は団体戦優勝 沙保里の体調が万全とはいえないこと、同じく五輪3連覇の伊調馨が首を痛めて試合に出場できないことなど、団体戦として日本は「優勝確実」とは言いづらい状況だった。ところが、弱点と言われる重量級でも確実に勝ち星を稼ぎ、大会2日目、決勝のロシア戦では8階級全勝して団体優勝をおさめたのだ。 表彰台には「きっと、一緒に優勝したかったはずだから」と、遅れて試合会場へ着いた兄が、持ってきてくれた遺骨を手にのぼった。やはりマットの上が、もっとも父を身近に感じられるのだろう。