「ラジオを半値にせい」 松下幸之助が、工場長に無理な要求を通した真意
利己的動機を超えて
幸之助がものづくりに関して重視したのは、単なる革新や創造ではなく、そこに使命感が伴われていることだ。1930年にどうしてわざわざ他社の力を借りてまで、ラジオの製造販売に乗り出したのか。 それは故障のないラジオをつくることで、従来専門店に限定されていた流通ルートを広げて一般の電気店でも販売ができるようにし、ひいては多くの国民にラジオを普及できると考えたからだ。単に松下電器だけが儲ければよいのだとは思っていなかった。 その証拠に、ある発明家が取得していたラジオの重要部分の特許を1932年に高額で買い取り、無償公開している。共存共栄の精神で、日本のラジオ産業全体の発展を願ってのことだった。自社に利益をもたらすから革新や創造への原動力になるのだというのも一つの見方だろう。 しかし幸之助から学ぶべきは、こうした利己的動機だけではなく、世と人の繁栄や幸せをもたらすという使命感があれば、ラジオ事業のように困難をものともせず、斬新な製品開発への大きなモチベーションが生み出されるということだ。そのような使命感を強く持つことこそ、幸之助の説いた"意識革命"の出発点だといえよう。
川上恒雄(PHP理念経営研究センター首席研究員)