「現代の若者に知ってほしい」〝偉人〟ではない南方熊楠の好奇心
1929(昭和4)年、和歌山県の田辺に巡幸した昭和天皇に、現地の生物についてご進講(特別授業)を行ったのが、地元在住の生物学者で博物学者でもあった南方熊楠である。 粘菌研究で知られる熊楠は世界を股にかけた行動的な学者だったが、終生野にあって学問的著作が少なく、その割に研究分野が広大で、しかも奇行が多く、「奇人・変人」「天才・超人」と見なされがちだった。実像が非常に掴みにくい人物だったのだ。 そこに、熊楠とは「純粋な好奇心を一生持ち続けた人」と、誰にも理解しやすい補助線を引いてみせたのが松居竜五さんの『熊楠さん、世界を歩く。──冒険と学問のマンダラへ』(岩波書店)である。 「私は偉人伝が嫌いです。我々とまるで違う偉い人など、興味も湧きません。ただ熊楠さんは、あ、私にとっては“さん”付けの距離感なのでそう呼びますが、いろんな面を持っているけど“わかった”と思える面が多々ある。そこを、現代の若い人たちに知ってもらいたいと思ってこの本を書きました」 そう言う著者の松居さんは、田辺市の〈南方熊楠顕彰館〉の館長である。 20代の頃に縁あって熊楠の長女・文枝さんと知り合い、膨大な資料の調査を依頼されて以来、30年以上の南方熊楠研究を続けてきた。 松居さんは熊楠の世界を、「図鑑」「森」「生きもの」のキーワードで分析する。 「まず図鑑ですが、神童だった熊楠は6~7歳の頃から江戸時代の『訓蒙図彙』『和漢三才図絵』、中国の『本草綱目』を数年間熟読し、東アジア的博物学を自分の知識の基盤としますね。最初の超人伝説もその時に生まれていますが?」(足立) 8歳頃に読んだ『和才三才図絵』105巻について、「他家で読んだのを、自宅で全巻書き写した」と伝えられる。本当ならまさに超人だ。だが松居さんは一次資料を検討し、「本は借りた。48巻のみ筆写」と正した。 「むろん、訂正した事実でもすごいこと。ただ今の子どもだって、好きな生き物の図鑑ならあっという間に読んでしまうことはある。熊楠の場合もそんな好奇心の延長線上にいた、ということですね。それでも驚異ですが」(松居)