ヤマザキマリ 母から送られてきた雑誌で感受した「能登の耽美」を、40年後の旅で呼び覚まされて。復興に向けて「仕方ない、頑張らないと」と諦観する人々の表情に見たもの
イタリアにいたときに「能登」のことを知り、昨年初めて取材で訪れたというマリさん。1月の能登半島地震を経た今、あらためて訪問して感じたこととは――。(文・写真=ヤマザキマリ) 【写真】奥能登の宿(撮影:ヤマザキマリ) * * * * * * * ◆母から送られてきた雑誌で知った能登 フィレンツェに留学していた頃、母から送られてきた日本の伝統文化を扱う雑誌の特集で能登を知った。古くから変わらぬ能登の暮らしと風土について綴られた記事の中で、奥能登の旧家で受け継がれている家族のしきたりが取り上げられていた。 厳かに並べられた朱色の輪島塗の漆器にシンプルな食事が盛り付けられた写真とともに、その家に嫁ぐ女性が正門をくぐるのは結婚をした時と亡くなる時の2回きり、という記述があった。 薄暗い畳敷の部屋に差し込む自然光に照らされた、輪島漆器の鮮やかな紅が、まるでその家で生きる女性たちの心根を表しているような、印象的な写真だった。日本へ帰ったら、いつか能登を訪れたいという思いが膨らんだ。 あれから40年。能登を初めて訪れたのは昨年9月のことだった。仕事とはいえ、やっと実現できた能登の旅だった。
◆私の思い描いていた能登そのものだった 奥能登、にある「湯宿さか本」は、取材先の候補として提案されたいくつかの宿のひとつだったが、この宿の外観と食事に使われている漆器の写真を見るなり「ここにします」と即決したのは、フィレンツェで私が感受した能登の耽美が呼び覚まされたからだ。 ちなみに「さか本」のHPを見ると、こんなふうな紹介文がある。 もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。 なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。 冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。 冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。 そう、いたらない、つくせない宿なんです。 真正の豊かさというものを知らずして、このような文言は生まれてこない。 玄関から奥へと続く黒い漆の塗られた廊下と、ほんのわずかな灯りの醸し出す陰翳礼讃的空間が圧倒的で、テレビや電話などを求めることが、おこがましい気持ちになる。 食事の際に使われる輪島の職人が作った美しい漆器も、魚醤“いしる”を薄く塗った宿の定番である極上の焼きおにぎりも、地元の漁港で揚がった魚たちも、源泉を薪で沸かした柔らかいお湯も、すべてが私の思い描いていた能登そのものだった。
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