欧州デビュー目前に…3度の前十字靭帯断裂で消えた“天才”は全国注目の指導者になっていた! 財前宣之47歳の今「俺にしかできないことがある」
少年時代から「天才」の名をほしいままにした“伝説的MF”財前宣之のインタビュー。後編は、海外移籍から夢へと駆け上がる途中に待っていた大怪我との戦い。苦闘の末に見出した希望について語った。〈全2回の2回目/前編から読む〉 【写真】「ひとことで言えば“天才”」中田英寿が「上手すぎて近寄りがたかった」と恐れた“天才”財前宣之の伝説を写真で振り返る…クロアチア時代のカズとの爽やかツーショットも見る ラツィオで刺激的な日々を送った財前宣之は、翌1996年からスイスのクラブへの移籍がほぼ決まり、いったん欧州を離れてブラジルへ向かった。ヴェルディ川崎の一員として20歳以下の国際大会に出場するためだ。アクシデントが発生したのはチームに合流したときだった。調整のための練習中、ボールを奪おうと左足を踏み込んだ瞬間に膝が激痛に襲われた。初めて経験する前十字靭帯断裂だった。
リハビリ中にスペイン移籍が浮上
だが、帰国し失意のままリハビリをしていると、今度はスペイン行きの話が浮上する。スペイン1部のログロニェスが三浦知良の獲得に乗り出した際、こちらの交渉が流れた後で財前の移籍が話し合われた。1年間留学していたラツィオからの推薦状も後押しとなり、契約がまとまった。 「怪我したときは、イライラしながらプレーしていて、別に行かなくていいところでガッと行っちゃったんです。なんか変なプライドですね。1年間イタリアでやってきてスイスの話もあって、俺はみんなとは違うぞっていうような。 当時の俺は、前十字靭帯を切るのがどれだけたいへんなことかもあまりわかっていなかったですね。半年あれば治るんでしょっていうぐらい。ただ決して復帰を急いだわけではなく、教科書通りにやったつもりなんですよ。膝が曲がらないところからスタートして、筋肉が落ちて細くなった脚を戻していく。でも結局、ログロニェスに合流して2カ月ぐらい、登録まであと少しというタイミングでまたやっちゃったんです」
再び前十字靭帯断裂
同じ左膝の前十字靭帯断裂。サッカー選手にとって致命的な2度目の大怪我だった。そこから、財前の長い苦闘が始まる。 「後から思えば、リハビリ過程のツメが甘かったです。またゼロからリハビリかと思うとキツかったですし、そこでヨーロッパのトップを目指すのは諦めましたね。2回チャンスをもらって2回逃したじゃないですか。デビューしてないから実績がない。世間からしたら俺のイメージは17、18歳で止まってて、19歳以降のプレーは見たことない。日本に帰ってきたときも、“不良品”みたいな扱いです。昔はうまかったけど、今はどうなの? って。それがプロの世界ですよ」 99年1月、ヴェルディを戦力外となっていた財前はクロアチアリーグのリエカに加入した。だが、まったく水が合わず約半年で帰国すると、当時J2に所属していたベガルタ仙台に入る。読売時代から財前を知るフロントの意向で実現した再起のチャンスだった。
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