“ぽいぽい”の裏側で死にたいとつぶやいていたーー全盛期の後悔を胸に立ち上がった経営者・あやまん監督の決意
踏んでしまった芸能界の地雷。「大好きな人たちに不義理をしてしまった」
ある試合で「おぎやはぎ」の矢作兼氏と出会ったことで運命は大きく動き出す。彼らの推薦で前出のバラエティー番組への出演が決まったのだ。
「当時、芸人さんとの飲み会は彼らにとってバラエティー番組の予行演習というか。女の子は隣で相槌を打つだけで、私たちが盛り上げようとしても『余計なことせずに大人しくしといて』と言われることが多かったんです。ところが、矢作さんをはじめとする(芸能プロダクションの)人力舎チームとは『みんなで盛り上がろう精神』で見事に意気投合。お互いが限界まで頑張り合い、試合が終わるころには絆と結束力が生まれていたんです。 芸人さんによくありがちな『先輩芸人に女の子をお持ち帰りさせることがゴール』みたいな下心がまったくないんですよ、人力舎の方々って。純粋に心から飲み会を楽しめました」 ブレーク後は、「80年代の売れっ子アイドルのようなめまぐるしい日々」をしばらく体験。 「1週間家に帰れず、楽屋には必ず栄養ドリンク。私たちが『あげぽよ~』とか言えてたのは、全部栄養ドリンクの力でした」 その裏で、メンバー3人の精神状態はまったく「あげぽよ」ではなかったと告白する。
「ある日、私たちを最初に世に出してくれた番組プロデューサーから深夜に電話がかかってきました。『どうして勝手に“ぽいぽい”の着ボイスを出してるの? すぐに止められませんか?』と。 実は2回目の番組出演の直後に、ある会社の方から着ボイスを作らないかとお声がけいただき、私たちは軽いノリでお受けしたんですね。でもプロデューサーさん的には、番組サイドから出すのが筋ではないかと。一方で、『別に君たちはテレビ局のものではないのだから止めなくて大丈夫』という意見もあり。板挟み状態でしたね」 以降、同番組への出演は一度もない。 「芸能界について右も左も分からなかったせいで、大好きだった共演者や番組スタッフのみなさんに不義理をしてしまった。あんなに楽しかったのになんでこうなっちゃったんだろう、もう死んでしまいたいと、毎日メンバー3人で自問自答していました」 数年後に別番組で再会した矢作氏には「(番組出演が続かなかったのは)別にいざこざがあったからではないと思うよ。ただ、(監督たちが)芸能界の色に染まっていない素人だから楽しかった部分はもしかしたらあったのかもね」と優しく言葉をかけられた。 のちに、その意味を噛みしめることになる。