“ぽいぽい”の裏側で死にたいとつぶやいていたーー全盛期の後悔を胸に立ち上がった経営者・あやまん監督の決意
「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」などの下ネタ宴会芸で、2010年に一世を風靡したパフォーマンス集団「あやまんJAPAN」。六本木界隈の飲み会を夜な夜な盛り上げていたところ、バラエティー番組に“発見”され大ブレーク。素人芸がYouTubeなどで人気となりメジャーシーンに躍り出ることも多い近年のエンタメシーンの先駆者的存在だろう。リーダー・あやまん監督(42)は、2014年に自身の会社を設立。そこに至るまでには、全盛期のある痛烈な後悔があった。成功と挫折を経て再び立ち上がった経営者・あやまん監督を、突き動かすものとは?(取材・文:城リユア/撮影:竹中圭樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「“鉄のパンツ”で六本木の秩序を守ってきた」
バラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』への出演を機に人気者となったのは12年前。素人時代は1日最大八つの飲み会を渡り歩き、芸能人、スポーツ選手から経営者、サラリーマンまでさまざまな人たちの宴を盛り上げてきた。
「お客様の頭を私の両ももではさみスカートで覆い隠す“アトラクション芸“『あやまんジェットコースター』は、当時からの定番です。さすがに馬主のおじいちゃんたちの試合(飲み会)に呼ばれた時は、心臓が止まらないよう優しめのジェットコースターにしましたけどね」 自称「群馬一黒い、黒ギャル」だった10代を経て、あやまん監督が現在の芸に目覚めたのはイベントコンパニオンの仕事で六本木に通うようになってから。そこで出会った“お姉さん”たちが下ネタ全開で頑張る姿を見て影響を受けた。 「大して可愛くもない私たちが、どう爪痕を残すか。可愛いと言われなくても、おもしろいねとは言われるようになって。ああ、これが私たちの存在意義なんだと思いました」
いまでいう「港区女子」や「ギャラ飲み」の最先端をひた走るうちに、「六本木といえばあやまんJAPAN」とまでいわれる存在に。 「攻撃は最大の防御。あやまん監督が“鉄のパンツ”をはくことで、当時の六本木の秩序が保たれていたのだと思います」 こう語るのは、メンバーのサムギョプサル和田(34)だ。「恋愛面において、監督はとにかく乙女で潔癖症。その辺のアイドルより全然遊んでいませんね」 下心を持ってやってきた男性陣が、二次会のカラオケで下ネタ全開に豹変した彼女たちを前に戦意喪失する姿を見ると、「試合に勝った」とひそかにガッツポーズを決めていた。