じつは「国際的な著作権侵害国」だったアメリカが、かつて「韓国」に迫った「ムシの良い要求」
ポール・ゴールドスタイン『著作権はどこへいく? 活版印刷からクラウドへ』は、著作権をめぐる事業者やクリエイター、国家の行動、裁判や議論の歴史をコンパクトに扱った好著である。なかでも筆者が興味深かったのは、アメリカの著作権条約に対する態度の変遷だ。 【マンガ】外国人ドライバーが岡山県の道路で「日本やばい」と驚愕したワケ
一世紀以上にわたる国際的な著作権侵害国―アメリカ
アメリカといえば、ディズニーをはじめ、国内外を問わず「著作権侵害に厳しい」というイメージがあると思う。 だがアメリカは、実は長い間、外国作品の保護を拒否していたことが『著作権はどこへいく? 』に書かれている。1790年に制定されたアメリカ初の著作権法では、「米国の市民でない者によって書かれ、印刷され、または発行された地図、海図、書籍を米国内に輸入し、販売し、再印刷し、または発行すること」がアメリカ人の権利として(外国の著作者に対する支払いなしでやってよいと)明確に認められていた。 アメリカの著作権を海外の作家にも拡大しようという動きは、1830年代以降、アメリカの作家や一部の出版社が、英国と二国間条約を締結しようとはたらきかけたことから始まった。しかしアメリカの印刷業者たちは輸入書籍への高い関税に守られていた状態から抜け出したくなかったし、外国の作家や出版社に印税を支払いたくなく、拒絶し続けた。 今でも著作権に関する多国間条約を締結していない国や、条約上の義務の履行を拒否している国はいくつも存在する。たとえばロシアでは、アガサ・クリスティの小説の翻訳版が5000万部以上売れたらしいが、ほとんどロイヤルティは支払われていないという。なお、正規の翻訳の契約をした国だからといって安心はできない。平気で海賊版が売られていることもあるからだ。 A国がB国の作家に対する保護をし、B国でもA国の作家の権利を保護するのが「著作権条約の相互主義関係」である。今では当然のように思えるかもしれないが、1852年にフランスが、フランス国内では相互主義に同意していない国の著作物にも著作権を与え、保護することを示すまでは、ほとんどの国が「自国に損になる」という理由で消極的だった。特に著作物の輸出よりも輸入が多い国では、外国の著作に対して支払いが発生することを拒んだ。 ところがフランスが他国の作品の保護も始めたことによって、相対する国側もかたくなに「保護しない」とは言いづらい状況になっていき、10年以内に23カ国がフランスと著作権条約を締結した。 出版社や学者、ヴィクトル・ユゴーなどの作家らが25年間も会合を重ねたのち、1884年には多国間の著作権条約の条件をまとめ始め、1886年に調印された。このベルヌ会議にはフランス、ドイツ、英国が原加盟国として名を連ねたが、アメリカは参加していなかった。 1908年、1928年、1948年、1971年とベルヌ条約は改正され、より高いミニマムスタンダード(最低基準)が加盟国に課されるようになった。アメリカは印刷業者や製本業者などの強力なロビー団体が反対し続けた。著作物の主要な輸出国となり、多国間の著作権条約締結を求める圧力が強まってなお、粘っていた。 アメリカは一世紀以上にわたって国際的な著作権侵害国だったのである。 ようやく態度を変えたのは、1980年代に入り、ベルヌ条約に未加盟だとアメリカの知的財産を他国で保護するための貿易協定の交渉努力が無に帰すという事態が生じるようになってからだ。アメリカは1989年3月1日、ベルヌ条約に正式に加盟した。 日本は1899年、「国を近代化しよう」「欧米列強に追いつこう」という明治時代にベルヌ条約に加盟していることを思えば、アメリカの加盟はめちゃくちゃ最近の話なのだ(もちろん、明治時代どころか昭和も後半になるまで、日本人の著作権意識が高かったとは到底言えないが)。