政治から抜け落ちた「貧困」問題:近づく分断社会―ジャーナリスト・水島宏明氏
選挙で「経済・生活」に対する有権者の関心は高い。物価高と経済格差の中で、生活困窮は身近に迫る問題となった。「ネットカフェ難民」の存在を世に広めたジャーナリストの水島宏明氏(上智大学文学部新聞学科教授)は、「このままでは日本も分断社会に近づく」と警鐘を鳴らす。
何が起きているのか
2006~08年のリーマンショックの頃、高度成長期以降で初めて貧困が目に見えるようになった。「年越し派遣村」が生まれて、「一億総中流」幻想は崩れた。その後、コロナ禍の2020、21年あたりに生活困窮者が再び急に増えている。コロナ禍の特徴として、学生の貧困とか、生理用品を買えない女性の貧困がSNSで発信され、話題になった。奨学金を借りて複数のアルバイトを掛け持ちしている苦学生も珍しくはない。 非正規労働の問題はリーマン以降も引き継がれている。現在は、企業が継続的に雇うというよりも、仕事が一段と細切れ化し、明日も働ける保証が全くない働き方が増えている。ウーバーイーツの配送員みたいに実質は労働者なのに、労働法で守られていない人もいる。商品の試食を勧める販売員なんかも請負契約だったりして、不況になるとすぐに仕事がなくなる。不安定な働き方が目に見えない形で広がっていると実感している。 東京都庁のそばでNPO法人「もやい」が食料支援をしているが、この夏ぐらいまでは史上最長の行列ができた。一見してホームレス風の人だけではなく、20~30代の若者とか、女性や子連れの女性とかも並んだ。異常な物価高が加わり、皮膚感覚として生活困窮者はかなり広がっている。
政治空間と貧困
リーマンショックの時代は、貧困問題は社会の課題として解決すべきだという議論があった。しかし、民主党政権(2009~12年)が、その後の安倍晋三・元首相に「負の遺産」として批判されると、「貧困問題」という捉え方や言葉が「左翼」と結びつけられ、レッテルを貼られた。 自己責任論が広がり、最後のセーフティーネットの生活保護制度もバッシングされて、「死んでも生活保護は受けたくない」と困窮者自身が言い出す世の中になってしまった。その影響で政党から「貧困問題」という言葉がめったに聞かれない状況になった。普遍的な考え方のはずなのに、政治的にバイアスを付けられた言葉になってしまい残念だ。 生活困窮者や物価高で声を上げられない人はたくさんいるとの問題意識はある程度、与野党ともある。けれども、今度の選挙戦ではその解決策を分かりやすい言葉で、どこをどう改善すればいいのか誰も語っていない。もっと言葉の力で伝えられる政治家が現れるといい。政治家が「もっと世の中の格差をなくしていくんだ」というように平たい言葉で語り、政治が変わるイメージを持てれば、右であれ左であれ、世の中はもっとましになると思う。