1982年に旭通信社への入社をきっかけに広告業界へ[第1部 ‐ 第1話]
外大生の強みを活かして就職活動を始めたものの……
佐藤:このような時代背景の中で東京外国語大学にいると、自然と「海外との関わり」が就職活動の中心になってきました。私の中では「大手か中小か」という軸と、「海外か国内か」という軸で就職活動を考えていました。
佐藤:同級生の多くはマトリックスの右上の大手・海外という枠の会社に就職する人が多かったと思います。私は東京外国語大学のイタリア語学科に在籍していたのですが、イタリアに工場がある大手企業が多かったので、実際に自動車メーカーなどに就職した大学の先輩達から一本釣りで声がかかってきました。卒業生の多くはそうした大手メーカーの海外部や大手商社、あとは公務員系でJETROとか海外との接点がある就職先が多かったですね。 杓谷:この時代の大手自動車メーカーや商社の存在は、現代の学生に人気の外資系戦略コンサルティング企業や、外資系投資銀行などに匹敵するのかもしれませんね。 佐藤:そうした一般的な進路が、学校生活の延長のように感じられて、私は同級生とは少し違う考えを持っていました。マトリックスの左上に位置する中小の商社に入り、「20代後半までに実務を全て覚えて独立する、という夢があってもおもしろいのではないか」と考え、その道を探ってみることにしたのです。当時の就職活動には次のような3つの選択肢がありましたが、その中から従業員50人以下の商社を調べて、実際にコンタクトを取り、訪問しました。 ・先輩からの紹介 ・リクルートなどの就職斡旋企業から送られてくる図鑑のような雑誌 ・大学の学生課にある求人情報
杓谷:私の世代では、就職支援サービスと言ったら真っ先にリクルートの「リクナビ」を思い浮かべますが、当時はその「リクナビ」の前進の『リクルートブック』や『日経就職ガイド』といった図鑑のような雑誌が主要な情報源だったんですね。
佐藤:今なら優秀なベンチャー企業はたくさんあり、探すのも難しくないです。しかし、当時はそういう企業があったとしても、見つける術がなかったんです。従業員50人以下の商社を実際に見学してみて感じたのは、就職雑誌に掲載されている企業は、結局大手企業の下請けのようなところが多く、自分が求めているものとは「違う」と感じるようになりました。そうなると、大手商社に就職した方がいいのかもしれないと、就職活動の軸が少し揺らぎ始めました。