ママ友は作らない、性の話は隠さない。ミニマリストが「子育てでやめてよかった」3つ
性の話を隠すのをやめたら…
今の時代は「性教育」の大切さが見直されている。人生を軽く歪めてしまうことだから、一度でも起こってはいけないのが性犯罪。私は「性」に関する犯罪が怖くて「性」の話をすることに決めた。 他にも理由はある。予定外の妊娠出産を全力で喜べる自信は私にはない。そこまで器は大きくない。子どもができるということは、奇跡と喜びだけで溢れていいことなのだから、そこに「どうしよう」という感情は1ミリもいらないのだ。 「できることがあったのにやらなかった」という点で、自分が後悔すると思ったから我が子には性の話を隠すのはやめた。
なぜ小さい頃から話す必要があるのか
子どもが小さい頃ほど「性教育」が必要だと思ったのは、ただひとつ。「子どもたちが年頃になってから話し出すのが恥ずかしい」という理由だ。誰に何と言われても構わない。小さい頃から話すという理由はこれだけだった。 普段の生活の中でも「性」の話題は自然と起こった。ドラマなどの濡れ場のシーンでは「この後、あの人どうなるの?」という質問にも淡々と「おそらくSEXだね」と私の視点で応えてきた。 「でも、自分の一方通行な気持ちでやっちゃいけないことなんだよ」と、話を続けたこともある。そこから派生して「AVはファンタジーの世界だから、暴行されて徐々にその気になる人なんてこの世にいないからな」という話も何度もした。親の私があまりにも自然体で話すので、子どもたちも茶化すことなく聞いてくれた。 そして私の読みは正しかった。子どもが大きくなってから性の話を始めるなんて恥ずかしくて上手にできなかったと思う。こんなに性の話を重ねてきた私でも、今でもちょっと恥ずかしいのだから。 性犯罪の話や避妊の話、これらは日常的に話せる間口ができている。今となっては、子どもが小さい頃から性の話を隠さないというのは、彼らのためではなく、ほぼ自分のためだったように感じる。 性の話は隠さなくても問題なかった。むしろオープンにすることで、年頃の我が子たちとも話せるようになれた。 <TEXT/阪口ゆうこ> 【阪口ゆうこ】 1981年生まれ。整えアドバイザー。片付けや整えについてのブログ「HOME by REFRESHERS」を運営。コラムなどの執筆、セミナー開催を行う。著書に『ゆるミニマルのススメ』などがある。好きなものはビール、宴会、発信すること。嫌いなものは戦争、口内炎、マラソン。Instagram:@sakaguchiyuko___
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