津波に原発事故「生かされた命」 難関高生徒が福島で出会った人々の思い
「時が止まった地域」と「生かされた命」――。昨年12月末、福島県が東京都と兵庫県の2高校を招いて2泊3日の教育モニターツアーを行いました。福島第一原発周辺地域で復興に向き合う人々に集中的に話を聞き、「自分たちができること」を考えさせます。2校は、理系の東西最難関校といえる灘(兵庫県)と筑波大附属駒場(東京都)。内堀雅雄福島県知事が急きょ「特別講義」するなど白熱しました。全国の高校生や一般人にも参考になるツアーの中身を2回に分けてリポートします。 【写真】全町避難の富岡町ルポ(下) 一番の被災は「加害者がいること」(2014年3月)
震災から6年、いまだ「時が止まった地域」
各校15人の生徒計30人は12月25日、JR郡山駅をバスで出発した後、大半の地域で避難指示がすでに解除された葛尾村と川内村を訪ねました。翌26日、原発に近い帰還困難区域で唯一通行できる一般国道・国道6号線を北上。「6年近く時が止まった街」など浜通り地域のいまを、車窓から見学しました。 サッカートレーニング施設「Jビレッジ」のある楢葉町は2015年9月に避難指示が解除され、通常の生活が営まれています。北の富岡町は解除されていませんが、昨年11月にホームセンター「ダイユーエイト」などが入る商業施設がオープン。東京電力の福島復興本社が置かれるなど、今春の避難指示解除に向け、人の動きが見られる地域です。
しかし数分北に走ると、「ここから帰還困難区域」の看板が目に入ります。場所は、富岡町北部とその北の大熊町。放射線量がいまだ高く、住民には帰還でなく「避難」を求め続ける地域です。 住宅や店など敷地に入る全ての場所にはバリケード。ショーウインドウが割れたままの店や、荒れ果てた田んぼから木が育っている場所も。時が止まったままの地域です。
バスは福島第一原発(大熊町、双葉町)のそばを通り抜け、3月の住民帰還を目指す浪江町に入りました。15メートル超の津波に襲われた請戸(うけど)漁港は、かつて築地に良質の魚を届けていました。今は、津波を受けた家が散見され、がれきの山が見えます。1車線分地震でズレたであろう道路も海岸近くにあります。 この状況は「2011年、2012年時点の宮城・岩手」といえます。震度6強の揺れと15メートル超の津波、そして原発事故の「トリプル災害」により、復興が遅れている現状が、高校生の目の前に現れました。