小渕優子・選対委員長は次の党役員人事で真っ先にクビに…ロクな仕事もできず「自民党のおごりを象徴するような人事だった」
世襲議員に肩入れする傾向
「率直に言うと、例えば小渕さんは応援演説が上手ではありません。元首相を父に持つ彼女は選挙で苦労したことなど一度もないでしょう。そんな政治家が選挙のノウハウを持っているはずもなく、選対委員長としてリーダーシップを取ることなど土台が無理な話なのです。それでも自民党は小渕さんを要職に就けました。これが自民党の病根を象徴していると思うのは、議員の世襲を問題視するどころか、『父の無念を娘に晴らさせてやろう』と考える自民党幹部が少なくないことです。この問題は新聞社など大手メディアの政治部も一枚噛んでいます」(同・伊藤氏) “参院のドン”と呼ばれた青木幹雄氏(1934~2023)や、元首相の森喜朗氏(86)が「憲政史上初の女性首相に就任させる」と小渕氏を強く後押ししていたことはよく知られている。 これは父親の小渕恵三氏が首相の任期途中で急逝したことも大きな影響を与えている。「父が首相としてやり残した仕事を、娘が成り代わって完遂する」という“浪花節”が依然として共感を集めるのだ。 伊藤氏によると、自民党の国会議員や大手メディアの政治部幹部が世襲議員に肩入れする傾向は、自民党幹事長など要職を歴任した河野一郎氏(1898~1965)、党総裁を務めながら首相にはなれなかった河野洋平氏(87)、そして現在、デジタル相を務める河野太郎氏(61)の3代にも見られるという。
小渕氏は姪っ子──の政治部幹部
「河野一郎さんは国民から首相待望論が出るなど、非常に人気のある政治家でした。ところが総裁選では佐藤栄作さん(1901~1975)に破れ、その翌年に急逝します。そして河野洋平さんが世襲議員として登場すると、自民党の一部議員だけでなく、河野番を担当していた政治部の記者たちも『次は洋平さんが首相になる番だ』と応援したそうです」(同・伊藤氏) 1993年7月の衆議院選挙で自民党は過半数割れとなり、細川護熙氏(86)を首相とする非自民・非共産の連立政権が発足した。 下野した自民党の総裁選は河野洋平氏が勝利し、自民党の歴史で初めての「首相を兼任しない党総裁」となった。これに同情する声は強く、自民党が政権与党に返り咲いてからは「河野首相」を求める動きもあった。だが実現することはなかった。 「河野洋平さんにも同情の声はありましたから、洋平さんが引退すると今度は河野太郎さんに期待の声が集まるわけです。同じ文脈で小渕優子さんも後押しされている。父親の小渕恵三さんの番記者は、今や政治部の幹部です。彼らにとって優子さんは姪っ子のような感覚でしょう。とはいえ、これでは選対委員長が“充て職”のような扱いですし、政治家の能力ではなく、世襲を積極的に評価して任命しているのですから大問題です。裏金事件が発覚する前の人事のため『誰が選対委員長でも自民党は選挙に勝つ』という奢りを読み解くことも可能です」(同・伊藤氏)