「これは地獄だ」 想像もしなかった万人単位の死、最前線で向き合った人々 #知り続ける
直接の死者数は1万5900人、今も2523人が行方不明のまま――。東日本大震災は戦後の災害史上、最悪の規模となった。想像もしなかった「大量死」に、最前線で向き合った人々がいた。(敬称略) 【写真】震災の2日後、宮城県東松島市で見つかった遺体を運ぶ自衛隊員
一夜明け、手帳に書き込んだ「これから本番」
「1万人 地獄 これから本番」 大津波が東北沿岸部をのみこんで、一夜明けた2011年3月12日朝。 宮城県警本部長だった竹内直人(66)は、手帳に緑色のペンで、そう書き込んだ。 この時点で報告されていた県内の死者数はわずか。警察、消防、自衛隊が、懸命の救出作業を始めていた。だが津波の映像を目の当たりにし、救助を求めて殺到する110番の入電状況を聞いていた竹内は、前例のない数を予期した。 県警の幹部会議で告げた。「これは地獄だ」
「安置所は大きいほどよい」 県警トップは求めた
前日のうちに編成された検視班16班が、仙台市中心部にある県警本部を出発した。総勢約200人。自然災害による死とはいえ、変死として死因や身元を調べる必要がある。 検視をする遺体安置所にはまず、県内で一番大きい利府町の県総合体育館が確保された。県庁の災害対策本部会議で、竹内は追加を強く求めた。「当該場所は、大きければ大きいほどよい」 安置所の設置は一義的に市町村の仕事だが、事前に安置所の候補地を決めていた自治体は皆無。代わりに県教育庁が、県立学校の体育館などをリストアップした。いくつかは住民の避難所と重なり、変更を迫られた。 いったい、遺体はどれだけの数になるのか。 県警はこの日から、住民から行方不明者の情報を受けつける「相談ダイヤル」を設けた。臨時回線を最大50本引き、オペレーターには県警の事務職員らを招集した。捜している人の名前や身体の特徴を聞き取り、エクセルで表にしてゆく。 行方がわからない人の全体数をつかめれば、このあと何人を捜し出し、検視の人員や場所をどれだけ確保すべきかがわかる。竹内のアイデアだった。 ことは簡単ではなかった。友人や知人に電話が通じないだけで問い合わせてくる人が殺到し、エクセルはやがて数万人まで膨らんだ。