「これは地獄だ」 想像もしなかった万人単位の死、最前線で向き合った人々 #知り続ける
SOS「遺体は万人単位が必至」
12日夜。 壊滅状態とされた県北部の南三陸町の情報が、ようやく県庁に入ってくる。「避難所に7500人がいる」。町の人口1万7600人から差し引いた数字が、「南三陸町で1万人安否不明」とのニュースになって発信された。衝撃が駆け巡った。 何もかもが足りない――。竹内は焦りを募らせた。 水が引かない場所で遺体を運ぶボート、検視に使う注射筒、ゴム手袋、照明、死体検案書を書く医師、身元確認用に歯を調べる歯科医師。本来なら補充の要望を警察庁に上げ、関係省庁に手配してもらうのが、官僚機構のしきたりだ。 だが、待てなかった。 13日午後、東京から駆けつけた内閣府副大臣や省庁職員らが出席する県の本部会議で、SOSを発した。 「遺体は万人単位になるのは必至。装備資機材や医師が大至急必要だ」 南三陸のニュースも念頭にあった。だが数字に確たる裏付けはない。発言は竹内の意図を超え、「万人単位」の大見出しになって、翌日の新聞の1面に載った。
「棺を1千本」 葬儀会社長は四国に電話した
仙台市に本社がある葬儀会社・清月記の社長、菅原裕典(63)は、11日の地震直後、取引先だった高松市の棺(ひつぎ)メーカー大手に電話をかけた。「とりあえず棺を1千本、届けてくれないか」 翌12日朝、同業者や県の担当課と打ち合わせを持つ。副理事長を務めていた県葬祭業協同組合は、震災の数年前、葬祭用品を供給する災害協定を県と結んでいた。1995年の阪神・淡路大震災で応援に赴いた経験のある菅原が、提唱した。しかし、零細企業が多い地域の葬儀業者には、棺のストックはほとんどなかったのだ。
「死はなんて不平等なんだ」
四国から第1便の棺134本が届いたのは、13日。清月記の葬祭会館の一つを基地にして、各地にできた安置所に配送した。 社員の西村恒吉(50)も担当した一人。トラックで運んだ先の安置所では、納棺を手伝った。検視が終わった遺体が床に並ぶ。まぶたを閉じ、腕を整え、額や頰にごく簡単な化粧を施した。 そんな余裕のない安置所も少なくなかった。日がたつと、死に化粧すらできない遺体が増えてゆく。同じ災害で亡くなったのに――。 「死はなんて不平等なんだ」。西村は思った。