「アレッポ忘れるな」と叫んだ大使殺害の男 ロシアとトルコの関係に影響は
「ギュレン派」関与を示唆する与党議員
殺害の動機は不明だ。容疑者が「アレッポを忘れるな。シリアを忘れるな」と叫ぶ姿は映像にもはっきりと記録されているが、ISなど過激派組織とのつながりは現在までに確認されていない。トルコでは与党の国会議員がアルジャジーラの取材に対し、「容疑者は現在も警察官で、これまでにシリアに行った記録もなく、シリア国内の過激派組織とのつながりも確認されていない」とコメントしている。別の国会議員は、「シリアの過激派組織ではなく、ギュレン派のテロリストによる犯行の可能性が高い。現在も警察内部にはギュレン派の残党が多数いる」と、今年夏にトルコで発生したクーデターの首謀者とされるギュレン派の関与を示唆した。 アメリカ在住のトルコ人宗教指導者フェトフッラー・ギュレン師が1960年代に始めたヒズメット(奉仕)運動は、教育活動や貧困問題の解決に積極的な慈善活動として知られる一方で、建国以来ずっと世俗主義を守り続けてきたトルコの社会体制に対するアンチテーゼとして、イスラム復興運動を奨励しているという批判も長年にわたって出ている。ヒズメット運動によって作られた教育機関は高い教育レベルを維持しており、これらの学校の卒業生はトルコの政財界で大きな影響力を持っているとされる。 「ギュレン派」を理解するために、トルコの近年の動きについても目を向ける必要がある。エルドアン大統領は1999年にイスラム原理主義を扇動した罪で有罪判決を受け、被選挙権を剥奪されたが、被選挙権を失った状態で2001年にイスラム色の強い公正発展党(AKP)を結成し、党首に就任した。AKPは02年の総選挙で地滑り的な勝利を収め、単独与党に躍り出た。トルコで15年にわたってジャーナリストとして働き、現在は米東部で暮らすジェームズ・キュネイト・セングルさんがトルコの国内事情とギュレン派の影響力について語る。 「AKPの躍進を支えたのは間違いなく、ギュレンに率いられたヒズメット運動の支持者たちだ。トルコ国内でも大きな影響力を持ち、軍や政財界のトップにも支持者が少なくないギュレンはエルドアンとの関係が良好だった時代にもトルコに戻らず、アメリカからトルコ社会をコントロールする道を選んだのだ。興味深いのは、ギュレンが他のイスラム圏の国に移住するのではなく、アメリカに移り住んだことだ。アメリカにとっても、影響力のあるギュレンを抱え込むことに外交上のメリットを見出したのだ」