“ヤングケアラー”の実態を正しく理解できている? ノンフィクションで描かれる『48歳で認知症になった母』とその子どもの生活【書評】
コミックエッセイというジャンルの大きな魅力のひとつに、これまで自分の人生で体験したことのない、誰かの経験に気軽に触れられるという点がある。 【漫画】本編を読む
自分の知らなかった新たな価値観を知ることのみならず、実際に今この国で、あるいはこの世界で起こっている、大勢がもっと知るべき社会の課題や問題について。実際に自分が体験したり、周囲に当事者がいなかったりしても、ノンフィクションゆえの実感を伴って知ることができる。 マンガ形式の気軽な読書で視野を広げる体験ができるのは、コミックエッセイが持つ非常に大きな「物事を伝える力」でもあると言えるだろう。 『48歳で認知症になった母』(吉田美紀子:漫画、美齊津康弘:原作/KADOKAWA)で描かれているのは、近年社会問題としても注目が集まりつつある「ヤングケアラー」についてだ。 本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを、日常的に行う環境下に置かれた子どもであるヤングケアラー。本作は若年性認知症の母を抱えヤングケアラーとなった一人の少年・やっちゃんを主人公とし、彼が置かれたあまりにも過酷な環境が、素朴なタッチでありながらも現実味を伴ったストーリーで描かれている。
五人家族の末っ子に生まれたやっちゃん。年の離れた姉と兄、そして水産会社を経営する父は忙しく顔を合わせる時間も少ない中、優しい母だけが家族の中で唯一、彼と共に過ごす時間が多い存在だった。 優しくて明るく、料理も上手で身なりにもいつも気を遣っていた、自慢の母。だがやっちゃんが小学生の頃、少しずつ母親の様子がおかしくなっていく。 掃除や洗濯、料理。日頃から普通にできていた家事が、少しずつできなくなり始める。そんな母に医師が下した診断は、若年性認知症だった。
まだ40代という若さで、少しずつ人としての当たり前の暮らしができなくなっていく母。散らかり放題の家の中で、夜ご飯を作ってくれる多忙な父の帰宅はいつも夜11時頃。 お腹が空いたらお菓子や簡単なインスタントラーメンで母と空腹を凌ぐ。そんな生活が、当時のやっちゃんの当たり前の暮らしだった。 当時は今ほど要介護者の支援制度自体が社会に浸透していない時代。若年性認知症の母を身内でしか支え合うことができなかった、そんなやっちゃんの成長過程や暮らしぶりを、ほぼそのままに描いたノンフィクションエッセイになっている。