津波に飲まれた20秒間。奇跡的に生還した写真家の後悔と気づき「もっと早く逃げていれば」
東日本大震災から早13年。この日を境に人生が変わったという人も少なくないが、地震に水害、自然の猛威には敵わないことを身をもって体験した人もいる。 ▶︎すべての写真を見る
当時、福島県いわき市で取材中に津波に飲み込まれ、奇跡的に助かった写真家・高橋智裕さんもそのひとりだ。そこからの人生を変えるほどの危機的状況と、そこから得た「気付き」について伺った。 ※当時の実際の写真を使用してます。
大地震のあと、写真を撮るため海へ向かった
福島県いわき市で生まれ育った高橋さんは当時、地元のタウン誌のカメラマンとして働いていた。 地震が起きたのは14時46分。いわき駅周辺で仕事を終え、市内の内陸部にある自宅へ車で帰宅しているところだった。そこへ震度6弱という強烈な揺れが約3分間も続いたのだ。 トラックが横転しそうになるほど地面は左右に揺れ、コンクリートは盛り上がり、稲妻が走ったように亀裂が入った。その光景はまるで、「日本は沈没するのではないか」と思わされるほどであった。
地震が収まり、車内でラジオをつけると、すでに大津波警報が流れていた。 「もともと東北は地震が多いんです。だから津波警報もよくあるんですけど、これまでは”津波”といっても20~30センチ程度の小さなものでした。このときも津波警報は全然気にせず、海岸の様子を撮影しようと海の方へと引き返し、車で20分ほどの小名浜港へ向かいました」(高橋智裕さん、以下同)。 福島県最大の港湾である小名浜港は、港と内陸部を連絡するトンネルがある。このトンネルによって内陸部から海は見えない。
「トンネルを抜けてまず目にしたのは、道の真ん中に木製の簡易トイレが流れ着いていた光景です。港に良くある大きなバケツも散乱していて、すでに第1波が到達したあとだとわかりました」。 第2波が押し寄せてきたのは、海辺の写真を撮り終え、街の様子を撮影していた最中のことだった。港から街に勢い良く水が流れ込んでくるのを見て、身の危険を感じた高橋さんは慌ててシャッターを切り、すぐに車で走り出した。 「津波って単に大きい“波”だと思われがちですが、全然違うんです。海が膨張して巨大な水の塊が一気に押し寄せる、それが津波です。 このときは建物1階ほどの高さまでありましたが、車に乗っていたので危機一髪、なんとか逃げ切りました。第2波が落ち着いたのを見て、『2度も大きい津波が来たから、さすがにもう来ないよな』と再び港の写真を撮り続けました。まさか、また巨大な津波がやってくるなんて考えもしませんでした……」。 「このときは写真を撮ることに夢中で気づけなかったのですが、港に停泊していた船の底が見えるほど波が引いて、湾内にほとんど水がない状態でした。つまり、津波の前兆である“引き波”が発生していたんです」。 街には人影もなく、異様な静けさが広がっていた。聞こえるのは、先の津波で溜まった水を掻き分けて歩く高橋さんの足音とシャッター音だけ。 そこへ急に「逃げろ! 逃げろ!」と叫ぶ声が聞こえた。 「上を見上げたら、近くのビルの屋上に避難していた人が自分に向けて叫んでいたんです。え、まさか!? と思って沖の方に顔を向けたら、海の水がどんどん膨張して近づいてきていたんです」。