津波に飲まれた20秒間。奇跡的に生還した写真家の後悔と気づき「もっと早く逃げていれば」
想像を超えた現実に感覚が麻痺していく
庁舎に避難した高橋さんは、ほかの避難者とともに建物の上から津波が行き来するのを夜中まで眺めていたという。 「助けられたあとも第4波がすぐに来て、その様子を屋上で見ていました。声が届かない遠くの道は避難する車で渋滞していて、津波が迫っているのに気づかない。トンネルに車が入って、そこに津波が来て、そのまま流されていくのも見ました。自分は何にもできないんだなって無力さを感じましたね。 最初は、その悲惨な状況に涙が出てくるんですけど、人間って許容量を超えると悲しみや恐怖がなくなるんです。だんだん感情がなくなって……なんて人間は弱いんだと思いました」。
同日20時頃、救助にやってきた消防団とともに一度外へ出ようとしたが、無線で避難指示が入り再び庁舎へ戻った。すると、その数分後に最大の津波が発生。建物の2階近くまで来る高さだったという。 この大津波が最後となったが、この日いわき市に押し寄せた津波は13回。高橋さんは夜中0時過ぎになってようやく帰宅の途についた。 「外に出たら、星がめちゃくちゃキレイでした。街全体が停電していたので、今まで見たことのない星の量が見えたんですね。それとは打って変わって、コンビニは窓ガラスが割れて店内が剥き出しになっていたり、船が道路の真ん中に横たわっていたり、車がひっくり返っていたり……信じられない光景でした」。
何度も津波の危機に見舞われながら、視界の悪い真夜中に帰宅することを決意した高橋さん。大事をとって庁舎で一晩過ごす、という考えはなかったのだろうか。 「”クライマーズ・ハイ”のような状態で、とにかく『取材をしなきゃ!』という思いしかなかったんですね。ここに避難していては取材ができない、自宅にカメラを取りに行かないとって。 帰宅すると電気が通っていたので、テレビで被災状況を確認しました。あぁ、東北は全部やられたのか……この状況で自分には何ができるだろうって考えながら、その日1日を終えました」。