津波に飲まれた20秒間。奇跡的に生還した写真家の後悔と気づき「もっと早く逃げていれば」
津波に飲み込まれて見た”卒園式の走馬灯”
「第3波が発生したのだ」と気づいたときには、すでに目前まで巨大な津波が迫っていた。その大きさは、港から数百メートル沖合にある、水面から高さ5メートルほどの堤防さえも飲み込んでいたという。 「すぐに逃げようとしましたが、すでに足首あたりまで水に浸かっている状態で早く走れない。どんどん水嵩が増して膝くらいまでの高さになった……と思ったら、水の勢いに足を取られ、一気に全身が飲み込まれました。 その津波も第2波と同じくらいの高さだったそうです。水の中で波にもみくちゃにされ、天地も何もわからない。恐怖を感じるというより『あー、やってしまった……』という感覚でした。ただ、水は絶対に飲んじゃいけないというのが頭にあって、息は止めていましたね」。
津波に飲み込まれ死の淵を彷徨いながら、高橋さんははっきりと走馬灯を見たという。 「瀕死体験の走馬灯ってよくいうけど、あれ本当なんです。私の場合は幼稚園の卒業式の様子が映像のように流れて、それを俯瞰で見ている感じ。その瞬間は『もうダメだ、おしまいだ』と思ってるくらいで、怖さも水の冷たさも何も感じなかった。 その映像が終わったときに、『死んだ』と思いました。でも、そこでなぜか波が止まったんです。津波に飲まれてから20秒くらいだったと思います」。 波に抵抗することもできず、ただ息を止め、流されるままだったが、偶然にも高橋さんが行き着いたのは津波の潮溜まりだった。
「波が止まった瞬間、足が地面に当たったような気がしました。もしかして今なら立てるんじゃないかと思い、力を振り絞って起き上がってみたら水面から顔が出ました。『あぁ、息ができる。生きている』と思いましたね。 そのあと『こっち、こっち!』という声が聞こえ、辺りを見渡すと、そこは海上保安部の港湾合同庁舎の前でした。庁舎からは15メートルくらい離れていたかな。運良く海保の方が見つけてくれて、私は助かりました」。 津波で飲み込まれた場所から、庁舎前まではおよそ100メートル。潮溜まりに流れ着き、さらには目の前に避難できる建物があったことなど、奇跡的な巡り合わせで高橋さんは急死に一生を得た。