ぬるそうなビールや粗末な紙袋のラスク…映画が描く「酒と食」に私がどうしようもなく惹かれる理由
地元青森のレンタルビデオ店が与えてくれた渇望感
――そう思わせてくれるって、いいシーンですよね。月永さん自身はお酒好きなんですか。 月永 大学に入ってから覚えて、好きになっていきました。飲み会でつぶれることがあまりなく、友人から「強いね」って(笑)。当時はコアに映画を見るようになり、日仏学院とかアテネフランセでの上映会に通ううち顔見知りができて、彼らとも飲みに行くようになったんです。映画好きの人はストイックにひたすら映画だけ見ている人も多いけど、私の場合、自分が食べたり飲んだりが大好きだからか、友人にも食道楽が多くて、フランス映画を見た帰りには「やっぱりワインが飲みたいね」とか、小津や成瀬を見た後は「渋い居酒屋で日本酒を飲んでみたい」なんて自然となっていって。年上の友人たちから「この映画の後なら、こんな感じの店が合うよ」なんて教えてもらっていました。 ――お生まれは青森県ですね。小さい頃から映画好きだったのですか。 月永 テレビで見た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年 ロバート・ゼメキス監督作)にすごく夢中になってしまったんです。でもうちは「テレビを長く見るのはダメ、1時間だけ」と厳しくて。「こんなに面白いのに、続きはどうなるの!?」って(笑)。見られないから「見たい!」という欲望が強くなっていきましたね。 ――しつけによって映画への思いが募っていった……! 月永 家に「名画100選」みたいな本があったんですよ。あらすじを読んでは「いつか絶対に見たい、どんな映画なんだろう」と想像するのが好きでした。中高時代にはおこづかいでレンタルビデオを借りたり、「シネマディクト」というミニシアターができたので見に行くようにもなったり。90年代終わりぐらいの頃ですね。浅野忠信さんが主演した『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999年 五十風匠監督作)とか、黒沢清監督の作品とか、日本映画でこんな面白い作品がいろいろ生まれているんだとワクワクしたのを思い出します。 ――年代的にもいちばん吸収する頃。おこづかいはもうすべて映画に? 月永 そう……したいところですが、いっても青森なんでレンタル店にさほど映画がないんですよ(笑)。ヌーベルヴァーグとか見てみたいけど『勝手にしやがれ』(1960年)と『気狂いピエロ』(1965年 どちらもジャン=リュック・ゴダール監督作)しかない。渇望感がありました。 ――その渇望感が上京してから、エネルギーになりませんでしたか。 月永 なりました。横浜国大に進学したんですが、渋谷まで出てよくユーロスペースやイメージフォーラムはじめ、ミニシアターに通っては映画を見ていました。 ――大学でも映画を学んでいたそうですね。 月永 マルチメディア文化課程というのが当時ありまして、梅本洋一先生(映画評論家)の授業を受けていたんです。黒沢清監督や青山真治監督とも交流がある方で、監督が授業に来ることもあって。なかなか厳しい先生で、「蓮實重彦は当然読んでいますよね?」みたいなノリで(笑)。 ――すごいなあ。実際、読まれていたんですか。 月永 言われてから慌てて本を買いました(笑)。ただ当時はまだ一般雑誌の映画評も充実している時代で、そういうところにも蓮實さんの映画評が載っていたので、気づいたら色々読んでいた気がします。次第に影響も受けましたし。 ゼミの先輩が映画同人誌を作っていたんですが、私も手伝うようになっていき、映画は「見て楽しむ」から「見て何かを書く」というほうに興味が移っていったんです。いろんな批評を読むうち、批評って自由なんだと思いましたが、「自分がどういうものを書きたいか」を掴めるまでには時間がかかりましたね。