【羽生結弦】感動のエキシビション「最後の最後の演技まで最高に」初めて明かされる秘話/対談3
冬季五輪男子2連覇のプロフィギュアスケーター羽生結弦(29)が、コンディショニング面において「集大成」のサポートを受けたと感謝する22年北京五輪を回想した。このほど、日本代表選手団を支援する味の素(株)「ビクトリープロジェクト(VP)」の栗原秀文チームリーダー(48)と対談。前人未到だったクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑み、世界初の「4A」認定をつかむまでの舞台裏を振り返った。26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪のプレシーズンも開幕。金メダル2個の羽生に寄り添うことで得られた知見が、日本勢の次代も明るく照らす。(敬称略)【構成=木下淳】 ◇ ◇ ◇ 「人生って報われることが全てじゃない。でも報われなかった今は今で幸せ」 そんな名言が、新たに羽生から生まれた北京五輪。結果は4位だった。リンク上の穴に4回転サルコーを阻まれる悲運に見舞われた。まさかのショートプログラム8位で3大会連続のメダルこそ逃したが、新型コロナ禍の中、全霊を懸けて22年2月10日、男子フリーの1日だけに照準を合わせてきたチャレンジは色あせない。五輪史に残る、世界初の「4A」が公式記録に刻まれた。 栗原 すごく、聞きたかったことがあるんです。北京で4Aが認定されて…とはいえ、悔しい結果で。でも(10日後の)エキシビションに向けて「栗さん、俺もう1回、ためるから」「やるよ」と連絡をくれたじゃないですか。確かフリーの3日後、4日後に。そこから、またエネルギーやグリコーゲンをためていった時のプロセス、どのような気持ちでいたんですか? 羽生 正直、自分の演技がめちゃくちゃ悔しかったので。もちろん4Aやるつもりはないんですけど、エキシビションって、人によってはお祭りみたいな捉え方もある中で、僕にとっては選手の資質が見えるところで。そこでどれだけ見せられるかで「全ての印象が決まる」と思っていたので。気持ちは落ちるし「何でまた捻挫(フリー前日に古傷の右足首を負傷)しちゃうんだ…」とも思ったんですけど、ここで気を抜けない。「最後の最後の演技まで最高にしよう」と思っていました。 栗原 選手村の食堂のテレビで見ていたんですけど、もう号泣ですよ。最高の演技。僕の人生の中でも絶対に忘れられない瞬間だったから、今回、絶対に伝えたかったんです。 プロに転向し、史上初のアイスショー単独公演を次々成功させている今も、その気概は変わっていない。 羽生 今も、ずっと当時の気持ちのままです。最高のものを、どう最後の最後まで届けるか。その延長線上でずっとやっています。右足首はガンガンに痛かったけど、それ以上にいいものを見せたかった。栗さんはじめ、本当にいろいろな方々にサポートされて、アスリートは競技会へ出て行くので。本当はフリー本番で出し切ることができれば良かったんですけど、出し切れなくて、悔しくて。だから全てをエキシビで出したかった。毎回毎回、注ぎ込んでくださる恩返しをしたい、結果を出したい。それが重圧でもあり、原動力でもありました。