貴重映像で振り返る終戦秘話と天皇陛下“平和への思い”【皇室 a Moment】
宮内庁は戦後70年にあたって、ブリキの缶に入れて保管してきた「御物」のレコード原盤を、専門家に頼んで針を落として再生してもらい、デジタル録音し直した音声を公開しました。その結果、昭和天皇の声はより明瞭になり、より高い声だったことも分かりました。今の天皇陛下も上皇ご夫妻とともに原盤の音声を聞かれています。 昭和天皇の放送は、終戦前夜の深夜に、当時の宮内省の庁舎内で録音されました。当時の録音は、レコード盤に針を落として音を刻む大がかりな作業でした。そのレコードは「玉音盤」と呼ばれますが、終戦前夜、徹底抗戦を訴える陸軍の一部将校が、“玉音盤”を奪おうと宮城を占拠する“クーデター未遂事件”も起きました。 ――そんなことがあったんですね。 終戦前夜の秘話は「日本のいちばん長い日」という本になり、2度映画化されています。皇居が占拠され、天皇を側近くで守る近衛師団長が殺害され、録音技師らが監禁されましたが、15日朝、クーデターは未遂に終わりました。「玉音盤」は無事に内幸町にあった放送局に運ばれ、放送されます。こうしてラジオ放送を通じ、国民は日本の降伏を知ることになりました。原盤の音声ははっきり聞こえますが、ラジオの放送は雑音が多く、よく聞こえなかったという証言も少なくありません。 ――玉音放送自体は番組などで聞いたことがあったんですが、放送されるまでにそのような経緯があったことは全く知らなかったです。
■貴重な証言“3回目の録音を希望した昭和天皇”
この録音に立ち会った当時の宮内省幹部の貴重なインタビューが日本テレビに残されています。
筧素彦 宮内省庶務課長(当時):「陛下(昭和天皇)がお入りになるときにお顔を拝見したらあまりに憔悴していらっしゃるんで、はっと胸をつかれ何とも言えない気持ちだったんです」 「最初に吹き込みをなさったときに何しろ書写の文句が難しい読みづらい文句なものですから、陛下(昭和天皇)がちょっと途中でお疲れになったようなことで、必ずしも100%うまくいかなかった。陛下がご自身もう一度やるとおっしゃったんです。2度目にまた陛下が吹き込みをなさったんですけれど、これもまた前と同じようなことでどちらがいいともつかない程度の出来だったんです。陛下はもう一度やるとおっしゃったんですけれども、もうあまりに畏れ多いし端でうかがっていても何とも言えない悲痛な内容ですしもうこれ以上は結構でございますからというのでご辞退申し上げて、陛下はそこでまた吹上(御文庫)の方へお帰りになった」 筧氏は翌15日、この2回目の録音の玉音盤を放送局まで運び、スタジオからの放送にも立ち会っています。 筧氏:「さすがに(放送が)始まった時は、前にうかがった文句ではあるけれども、もう皆誰しもそうだったんですが、涙、それこそ滂沱としてといいますか、涙が出て仕方ありませんでした。皆涙を拭えずそこで立ってうかがったわけでした」