貴重映像で振り返る終戦秘話と天皇陛下“平和への思い”【皇室 a Moment】
こちらはその横の小さな部屋、「御休所」です。昭和天皇が休むための部屋でした。この部屋で昭和天皇は自ら吹き込んだ終戦のラジオの放送を聞いています。昭和史の最も重要な空間の一つで、9年前に公開されたときは歴史家たちからも注目されました。
こちらは「附属庫」の簡略化した見取り図です。細い通路を入って行くと、内部には主だった5つの部屋があり、メインとなるのが「会議室」です。その横が「御休所」、昭和天皇がラジオの放送を聞いた場所です。
時間が50年ほどさかのぼりますが、こちらは戦後20年の1965(昭和40)年、宮内庁が公開した「御文庫附属庫」の写真です。当時はまだ終戦直前の姿をとどめていて、様子が伝わってきます。 ――戦後20年がたっているとはいえ、まだ壁や扉などが残っていて、当時の厳かな様子、雰囲気が伝わってきます。 先ほど、戦後70年の年に内部を見学された今の天皇陛下の発言を紹介しましたが、ビデオを見るだけでも息詰まる思いがしますので、現場に入られた時の衝撃はさぞや、と思います。私はかつて吹上御苑の自然観察会の取材で附属庫の脇を通っただけですが、鬱蒼とした森の中に現われた分厚いコンクリートの構造物に圧倒されました。中から漏れてくる冷気を不気味に感じたことを思い出します。 ――映像を見ただけでも暗そうな独特の雰囲気があります。
■「日本のいちばん長い日」――終戦前夜に起きたクーデター未遂
そして、この場所で決まった「終戦」を広く伝えたのがこちらの”音声”です。 「終戦の詔勅」(現代語訳・所功 京都産業大学名誉教授) 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」 現代語訳:私(昭和天皇)は、深く世界の大勢と帝国(日本)の現状とを考え、非常の措置を以って時局を収拾しようと思い、ここに忠良な国民の皆さんに知らせます。 「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」 現代語訳:耐え難いことを耐え忍び難きも忍ぶことによって、将来の世代のために平和への道を開きたいと思います。 ――8月15日、戦争の終結を告げた「玉音放送」ですね。 はい、「玉音放送」は、1945(昭和20)年8月15日の正午、ラジオで放送された「終戦の詔勅(しょうちょく)」です。実は、先ほどの音声も2015(平成27)年に宮内庁から公開されました。それまで私たちが聞いていた音声は、GHQ(連合国軍総司令部)が当時の宮内省から借りたレコード盤から複製した音声と言われています。