貴重映像で振り返る終戦秘話と天皇陛下“平和への思い”【皇室 a Moment】
■戦後70年で初めて入ったテレビカメラ
こちらは空から撮影した皇居です。 天皇ご一家のお住まいが「御所」で、一帯が「吹上御苑」です。その北側に、かつて昭和天皇・香淳皇后が住んだ「吹上大宮御所」、かつての「吹上御所」が残っています。もとは、先の大戦前に空襲に備えて作られた頑丈な防空壕、「御文庫」と呼ばれる防空施設でした。そのすぐ近く、小高い丘の地下に作られたのが、冒頭でご紹介した「御文庫附属庫」と呼ばれる防空壕です。 この場所は、長く放置されてきましたが、戦後70年の夏、上皇さまの意向を踏まえて、宮内庁が初めてテレビカメラを入れて記録し、公開しました。
この建物が、戦時中「御文庫」と呼ばれた後の吹上大宮御所の一部です。香淳皇后がお元気だったころ、お出かけをここで取材したことがあります。「御文庫」と聞くと書物の収蔵庫を想像しますが、外に「防空壕」と言えないための“言い換え”です。 昭和天皇と香淳皇后は、戦局が悪化した1944(昭和19)年からおよそ17年にわたって「御文庫」で暮らしました。ここから吹上御苑の森を歩いて行くと、大本営の会議室のあった防空壕「御文庫附属庫」の入り口に行き当たります。 カメラは長く放置されていた「御文庫附属庫」の中に入っていきます。かつてはお住まいの「御文庫」の地下からこの「附属庫」まで、地下トンネルでもつながっていました。コンクリートの殺風景な通路を通って行くと、分厚い鉄の扉が現れます。
――かなり分厚い鉄の扉。30センチくらいありますか? 衝撃に耐えられる大変に堅牢な作りとなっていました。その奥に「会議室」や「御休所」などの部屋が設けられていました。
そしてこちらが「附属庫」の会議室です。1945(昭和20)年8月10日と14日の2回、昭和天皇が出席してポツダム宣言を受諾するかどうかの「御前会議」が開かれました。当時の鈴木貫太郎首相が昭和天皇に”聖断”を仰いだ場所です。映像で見る会議室は、床や壁の木材が腐って崩れ、鉄板の天井は赤さびに覆われています。分厚い扉は激しくさびついています。 ――中は結構広くていろんな空間があることがわかりますね。