メッセージがびっしり書き込まれた車 被災地・大槌町の「走る震災遺構」13年目の役割 #知り続ける
「僕は震災が終わったという意識は持っていないから」 こう話すのは岩手県大槌町の佐々木健さん(66)だ。佐々木さんが震災の年から乗り続ける1台の古い軽ワゴン車がある。スバル製「サンバー・クラシック」。モスグリーンの車体には、ボランティアなどで震災後に大槌町を訪れた人々が、町の復興に寄せる思いをつづったメッセージがびっしりと書き込まれている。いったいどれぐらいの人がメッセージを書きこんだのか、佐々木さんにも分からない。「秋篠宮様にも『希望』とお書き頂いた」。油性インクで書き込まれたメッセージは風雨に洗われて次第に薄くなって、やがて消え、消えた場所にまた誰かが書き込む。「もはや器物損壊だよね」と佐々木さんは笑う。このメッセージを見るたびに佐々木さんは、あの日を思い出す。
■恐怖を通り越す 街を襲った津波
2011年3月11日午後2時46分。当時は町の職員で水産を担当していた佐々木さんは、海に近い大槌町漁業協同組合の建物でセミナーの準備をしている時に地震に襲われた。「恐怖を通り越すほどの、すさまじい揺れだった」。揺れが収まると佐々木さんはセミナーの参加者を避難させた後、車で5分ほどの高台にある安渡小学校避難所に向かった。避難所の担当職員だったからだ。小学校に向かう坂道の途中で「津波だ!」という叫び声に振り返った佐々木さんが見たのは、津波に押され、白い煙を巻き上げながら倒壊していく家々だった。佐々木さんの家族は幸い無事だったが、多くの親戚や職場の仲間が犠牲になった。
■ボランティア団体に伝えた「車が欲しい」
震災から3週間ほどが経ったある日、東京都東久留米市から支援物資を届けに来たという人たちが、佐々木さんがいる避難所にやってきた。環境ボランティア団体「東久留米・川クラブ」の代表、荒井和男さんらの一行だった。荒井さんはこの時、大槌町で見た光景を今も鮮明に覚えている。「がれきのあちこちに赤い旗が立っていた。収容できない遺体が残されている場所だと聞いて愕然とした」。「何か必要なものはないですか?」と佐々木さんに問うと、真っ先に「物資を運ぶ車が欲しい」との返答が。荒井さんの行動は早かった。東京に戻ると、知り合いの中古車販売店に協力を呼びかけ、1台の中古の軽ワゴン車を手に入れると、翌月には大槌町に届けた。「1995年式スバルサンバー・クラシック」だった。