メッセージがびっしり書き込まれた車 被災地・大槌町の「走る震災遺構」13年目の役割 #知り続ける
■廃車の危機 新聞記事が運命変える
サンバーは被災地を走り続けた。復興が進み避難所での物資運搬の仕事を終えると、佐々木さんの日常の足として使われた。 「津波を被った植物の調査や県内の復興シンポジウムにもいっしょに行ったな」行く先々でサンバーは注目を浴びた。 大震災から12年あまりが経った2023年8月―。サンバー は、廃車の危機にさらされていた。エンジンはオイル漏れがひどく、あちこち壊れていて、このままでは車検が通らない。故障や不具合を修理するには多額の費用がかかることも分かった。 製造から30年近くが経過していて部品の入手も困難。佐々木さんはやむなくスクラップにする覚悟を決めた。ところが、この車のこれまでの経緯を聞きつけた新聞社が記事にしたことで、運命が大きく変わった。程なくして、記事を読んだある人物が佐々木さんの自宅を訪れた。サンバーを製造した自動車メーカー・スバルの岩手県内の販売店「岩手スバル」で社長を務める間野英雄さんだった。間野社長も佐々木さん同様、車体のメッセージに人のつながりを強く感じていた。「震災からの復興にもっとも大切だったのは、人と人の『つながり』だと感じる。サンバーに書かれたメッセージには人と人のつながりを感じる。もう一回頑張ってみないかと車に問いかけてあげて、命を吹き込んであげられればもっといろいろな人につながることの大切さを伝えることができるのではないか」。間野社長はこう話し、岩手スバルがサンバーを引き取ってしっかり整備して保存し、震災の記憶と教訓を伝える『走る震災遺構』として活用したい考えであることを説明した。大槌町に震災を伝える遺構は残されていない。佐々木さんは「津波の教訓を後世に伝えたい」と、町役場の多くの仲間たちが犠牲になった旧庁舎の保存を町に訴えたが認められず、建物は解体された。「せめて町の復興に寄せられた人々の思いだけは未来に残したい」。佐々木さんは間野社長の申し出を受け入れ、サンバーを委ねることにした。こうしてサンバーは大規模な修理作業を施されることになった。大槌町から整備工場がある盛岡市に旅立つその日、佐々木さんは初めて自らの手で車体にメッセージを書いた。“Just Go With It”.「流れに任せる、なるようになればいいって感じかな」。