IT訴訟解説:プログラムの著作権を争った判例「DOS版をWindows用に書き換えただけで著作権を主張するとは、ちゃんちゃらおかしいわ!」
作り方が十人十色のようなものであれば……
文量の関係上判決文を大幅に省略したが、その他の部分も踏まえて著作権が認められる基準を整理すると、下記が条件として挙げられている。 1. ある機能を実現するかどうかに選択の余地があること 2. プログラムについてさまざまな選択肢があり、開発者の個性が発揮され得ること 3. 書かれたプログラムに開発者独自の工夫があること 4. (抜粋部にはないが)そもそも開発する機能が、システムの動作上、有用であること 「実現方法の選択肢があり、開発者の創意工夫があり、他の開発者が行えば別の実現方法になること、そしてプログラムが有用であること」があれば著作物となり得るということになろう。 この判断は過去のプログラム著作権をめぐる裁判と基本的な考え方は同じである。本裁判はその基準を比較的明確に述べたものであり、今後の参考になると考える。
それでも著作権の主張は難しい
このようにプログラムも一定の条件を満たせば著作物となり得るわけだが、これを開発現場で意識することは難しい。私が書く本連載のような文章は、そのほとんどが著作物であると理解されている。音楽や絵画も同じで、何らかの証明などしなくとも周囲はそのように理解するし、制作者自身もそのように考えている。 しかしコンピュータのプログラムの場合は、ただ書いただけで著作物と認められるわけではない。 事実、プログラムのほとんどは言語の規則やアルゴリズムの妥当性、効率性などにより似通った書き方になるし、他人の作ったものを流用して書いていることも多く、開発者が著作権を主張するのは難しい。しかし、その中には確かに開発者独自の工夫が含まれているものもあり、そうした部分については著作権を認めないと開発者の権利が阻害され、日本のIT産業にも悪影響を及ぼしかねないし、そこが曖昧だと、本件のような裁判にもなってしまう。 もちろん、契約で「完成後は著作権を譲渡する」旨を合意すれば、本件のような問題は起きない。開発者は全てを諦め、その分高い対価を受け取ることで納得する。 しかし、プログラムの中には開発者が権利を留保したいものもあろう。AI(人工知能)などの技術の高度化、複雑化が進展して、プログラミングの選択肢が広まり、新たなアイデアの必要性も高まって、今後は開発者が独自性を発揮する範囲も広がるかもしれない。これを制約するようなことは開発者のモチベーションを落とすし、IT業界にとっても大きな損失になる。 ただ一方で、開発者がプログラムのある部分にだけ著作権を主張し、複製や改編などを許さないとなれば、システムの保守や更改の生産性を落とす。ある開発者に作ってもらったプログラムやシステムを他の者が一部修正したり、作り直したりするときに、著作権に関わる部分は一から作り直すというのは合理的ではない。 前述したように著作権譲渡が契約上定められていれば心配ないが、もしかしたら今後は、こうした契約が主流でなくなる可能性もある。開発者の権利と保守性の両立は今後、厄介な問題となってくる可能性が否定できないと思うところである。