<連載 僕はパーキンソン病 恵村順一郎> 「核兵器のない世界」をいつか見るために 戦後80年へ僕たちがなすべきこと
〈安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから〉 広島原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉だ。核廃絶への決意であると同時に、二度と戦争の当事者にならないとの決意でもあろう。 世界で核兵器が実戦に使われなかった80年間は、日本にとって戦争でひとりも殺さず、ひとりも死なせない国であり続けた歳月でもあった。その限りにおいて、戦後日本は〈過ち〉を〈繰返し〉てはいない。少なくとも、これまでは。 受賞を伝えるテレビを見ていて、心に残ったシーンがある。受賞の連絡に泣き笑いする広島県被団協の箕牧智之(みまき・としゆき)理事長の隣で、高校生平和大使たちがほほ笑む場面だ。翌朝の朝日新聞も、1面の写真で伝えていた。 〈いつの日か、私たちのなかで歴史の証人としての被爆者はいなくなるだろう。しかし、記憶を残すという強い文化と継続的な取り組みで、日本の新しい世代が被爆者の経験とメッセージを継承している〉〈それによって彼らは、人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持することに貢献している〉(授賞理由から) 多くの被爆者が「核兵器のない世界」をその目で見ぬまま亡くなった。悲しい現実である。核廃絶の闘いは「時間との闘い」でもあるのだ。 フリドネス氏は「核兵器の廃絶は非現実的だ、との声にどう反論しますか」と記者に問われ、こう切り返した。 〈核兵器に安全保障を依存する世界でも文明が生き残れると考える方が、よほど非現実的ですよ〉 同盟国・米国と隣国・中国。世界の覇権を争うふたつの超大国のはざまで、米国の「核の傘」「拡大抑止」にすがっていれば安泰だ。日本政府が本気でそう考えているなら、それこそ非現実的である。 ならば、唯一の戦争被爆国の国民である僕たちがなすべきは何か、何ができるのか。 核被害を我がこととして受け止めること。核廃絶の可能性を信じ、戦争の、そして原爆被害の悲惨さ、凄まじさを語り継ぐこと。その試みを支えることである。 文・写真 恵村順一郎 ◇ 恵村 順一郎(えむら・じゅんいちろう)ジャーナリスト 元朝日新聞論説副主幹 1961年、大阪府生まれ。1984年、朝日新聞社入社。政治部次長、テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを経て、2018年から2021年まで夕刊1面コラム「素粒子」を担当。2016年8月、パーキンソン病と診断される。