<連載 僕はパーキンソン病 恵村順一郎> 「核兵器のない世界」をいつか見るために 戦後80年へ僕たちがなすべきこと
まったくの偶然だが、被団協にノーベル賞が贈られた頃、僕たちは広島に滞在していたかもしれなかった。実はホテルの予約までしていた。 パーキンソン病患者にとって旅行は心身の刺激になり、リハビリにも有効だ。けれど実のところ、当時の僕には東京-広島間片道4時間の新幹線に耐えられる十分な自信がなかった。 悩んだあげく、10月の広島行きは見送ることにし、予約はキャンセルした。ただ近い将来、必ず訪ねたいとの思いは今も変わらない。 そんな時、関西弁の電話がかかってきた。「お前の本(『左がきかない「左翼記者」』小学館)、読んだデ!」と。 大学時代、京都の下宿の隣室で暮らしていた旧友だった。5日後、彼はやはり同じ下宿にいた別の友人とともに拙宅を訪ねてくれた。 約30年ぶりに再会した2人は共に広島出身。聞けば1人は今も広島市に住むという。「広島に戻ったら、写真を撮って送ってくれへんか?」。僕の頼みを彼は請け負ってくれた。今回、掲載した詩碑の写真が「友人撮影」となっているのはそのためである。 話が逸れてしまった。 世界にはいま、推計1万2千発以上の核弾頭がある。うち米ロがともに5千発以上を有し、両国で全体の9割を占める。中国も500発を持つとの推計がある。 それらの核兵器は広島、長崎に投下された原爆より〈はるかに強力な破壊力を持つ。何百万人もの人々を殺し、気候に壊滅的な影響を及ぼし得る〉(授賞理由から)存在と化した。 いま核兵器が再び使われ、それが核戦争につながれば、人類が営々と築いてきた文明は丸ごと破壊されよう。だからこそ、核兵器の使用は道徳的に容認できない――。そんな強力な国際規範=「核のタブー」が形成されたはずだった。 その「核のタブー」がいま、世界の至るところで揺らいでいる。 欧州ではロシアのプーチン大統領が、戦略核に関わる部隊に臨戦態勢を命ずるなどウクライナに対する「核の脅し」をエスカレートさせている。中東ではイスラエルの閣僚が、パレスチナ自治区ガザ地区への核使用を示唆している。アジアでは中国や北朝鮮が不透明な核戦力増強に走っている。米国でも対抗上、核兵器増強論が勢いづいているところに、予測不能のトランプ氏が大統領に返り咲き、核のボタンを再び握ることになった。 〈核兵器はロシア・ウクライナ戦争と、中東における紛争の両方に明確に関わっている。それだけではなく、我々人類全体にとっての課題なのだ〉(フリドネス氏、朝日新聞の電話取材に答えて) 日本政府はどうか。 唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」を訴えつつも、アジアの超大国に台頭する中国に対抗すべく、米国の「核の傘」を含む「拡大抑止」に依存する。一方で、日本被団協が求める核兵器禁止条約は批准せず、オブザーバー参加もしようとしない。 石破茂首相の核抑止への傾斜は一段と顕著だ。首相就任直前、米国の有力シンクタンク・ハドソン研究所に寄せた論文で、「中国・ロシア・北朝鮮の核連合への抑止力」を確保するため、「アジア版NATO」で米国の核シェアや核の持ち込みを具体的に検討する必要性を強調した。 もともと腰が引けていた日本政府の「核兵器のない世界」は、いよいよ後景に退いた観がある。 ことし12月8日は大日本帝国による対米英開戦から83年。来年は、その帰結としての広島、長崎への原爆投下と日本の敗戦から80年の節目の年である。 79年前。小説『一九八四年』で知られる英国の作家・ジャーナリスト、ジョージ・オーウェル(1903~50)が原爆投下直後に、こんな論評を残している。 〈我々の目の前にあるのは、ものの数秒で数百万の人間を消し去ることができる兵器を持った、二、三の怪物のような超大国が、自分たちだけで世界を分け合うという未来予測である〉(秋元孝文訳『あなたと原爆』光文社古典新訳文庫) 39年前。被団協が発表した「原爆被害者の基本要求」はこう指摘する。 〈核兵器はもともと、「絶滅」だけを目的とした狂気の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪の兵器なのです〉〈被爆者は「安全保障」のためであれ、戦争「抑止」の名目であれ、核兵器を認めることはできません。「核の傘」を認めることは、核兵器を必要悪として容認するものです〉 味方の核は「正義の核」、敵国の核は「悪の核」。そんな二分法は成り立たない。いずれも同じ「悪の核」――。日本被団協の言う通りだと僕も思う。 広島、長崎への原爆投下から約80年という長い月日が過ぎても、核をめぐる世界の状況は良くなってはいない。逆に悪化しているとさえ思える。