ドイツW杯にサプライズ選出された巻誠一郎だが、ジーコが求めるものは自らの持ち味とは違った
その年、再び巻が日本代表に呼ばれることはなかったが、ジェフでは攻撃の中心選手として活躍。12得点を挙げて、キャリアハイの結果を残した。 2006年のW杯イヤー、注目は日本代表のFWの人選に注がれていた。メンバー入りが有力視されていた久保竜彦のコンディションが、負傷などの影響などもあって一向に上がってこなかったからだ。 そこで、注目されたのが、巻と当時サンフレッチェ広島でゴールを量産していた佐藤寿人だった。それぞれJリーグで結果を出し続け、ふたりともコンスタントに日本代表に招集されるようになった。メンバー発表前、Jリーグが中断される5月初旬まで、巻は12試合出場6得点、佐藤は12試合出場7得点と互角の勝負を見せていた。 「周囲がざわざわしてくれたので、その流れに乗って(メディアなどに対しては)『代表に入れたらいい』とか話をしていましたけど、自分では『(W杯メンバー入りは)ないな』と思っていました。 (年明けの)アメリカ遠征とかにも呼ばれましたけど、FWにはタカさん(高原直泰)さん、ヤナギさん、大黒(将志)、玉田(圭司)とそろっていましたから。さすがに(FW枠で)5枚はないだろうと思っていたので、まったく期待していなかったです」 迎えた2006年5月15日、ジーコが23名のW杯メンバーを読み上げた。 「タマダ......、マキ」 巻の名前が呼ばれた。その瞬間、記者会見場がざわついた。 巻はそのシーンをメディアの人たちと一緒に見ていた。 「名前が読み上げられた瞬間は、うれしかったです。『ええっ、自分が!?』って思いましたけど。 選ばれたからにはチームを助けるプレーをしたい。チームのために一生懸命に走るのが自分のスタイルだったので、それを見せていきたいと思っていました」
ドイツW杯を戦う23名のメンバーのなかには、「初めまして」という選手が何人かいた。巻はそういった選手たちに挨拶しに行って、「自分はこういうプレーが得意です」と説明して回った。練習で理解してもらおうと思ったが、戦術的な練習が少なく、自分のよさを理解してもらうチャンスがほとんどなかったからだ。 「W杯前までに、僕と主力選手がお互いの特徴をわかり合う、という時間はなかったです。ジーコさんからは『ボックス内で勝負してほしい』と言われていました。でも、僕はそういう選手じゃなくて、守備にも攻撃にもアグレッシブにいってよさが出るタイプ。求められることはわかるけど、それでは自分のよさを出すのは難しいと思っていました」 所属のジェフで巻が輝いていたのは、攻守にアグレッシブに動き続け、チャンスになれば前に突っ込んでいく、そうした泥臭く、献身的なプレーを見せていたからだ。そういった巻のプレーを、オシムも「(ジネディーヌ・)ジダンになれないが、ジダンにないものを持っている」と言って評価していた。 だが、ジーコはストライカーとしてボックス内にとどまって攻撃の起点となり、得点を決めきることを望んでいた。日本のFW陣には、クロスやセットプレーで勝負できる高さのある選手が巻しかいなかったからだ。 「ドイツに入ってからも『ボックス内』と言われたけど、『動いちゃダメなのかぁ』とか考えながら、手探り状態でプレーしていました」 いろいろと考え、悩む巻に、アドバイスをしてくれるだけでなく、積極的に声をかけてきてくれたのは、中田英寿だった。 「代表では、ヒデさん(中田英)と一番よく話をしていました。最初に『ジーコには"ボックス内で待っていろ"って要求されたんですけど、僕はこういうプレーが得意なんです』という話をヒデさんにしたんです。そうしたら、『1回、ボックスの外で起点を作らないと中に入っていけないよね』とか、いろいろとアドバイスしてくれたんです。 それから、よく話をするようになって、『一緒にトレーニングやろうぜ』とか、声をかけてくれたりして。ヒデさん、めちゃいい人だなって思っていました」 大会が進むにつれ、中田英はチーム内で孤立を深めていくが、巻は別の見方をしていた。 「僕のことも"チームのために"って思って、話をしてくれたんだと思います。僕はヒデさんが一番チームのことを考えていたんじゃないかな、と思いますね」 W杯開幕を目前にして、チームは親善試合のドイツ戦で互角の戦いを演じ、"日本、強し"を印象づけた。その試合をベンチから見守っていた巻も「これなら」と本番への期待が大きく膨らんだ。