ドイツW杯にサプライズ選出された巻誠一郎だが、ジーコが求めるものは自らの持ち味とは違った
「(ドイツ戦は)僕は一度もウォーミングアップすることなく、ベンチから試合を見ていたんですけど、日本は『すごいチームだな』『これはW杯でもいいところまでいくな』って思いました。そのくらいの強さと勢いが日本にはありました」 しかしその勢いは、本番前最後の試合となったマルタ戦で萎んでいくことになる。巻は後半24分から途中出場。日本は1ー0で勝利したが、試合後のチームの雰囲気はあまりよくなかった。 「大会本番前の最後の試合なのに、なんかひとつになれないというか、みんなで"行こうぜ!"みたいな雰囲気にはなっていなかったです」 巻は自分のチームながら「大丈夫か?」と不安に思った。そんな微妙な雰囲気のまま、W杯の高揚感などほとんど感じることなく、大会を迎えた。 2006年6月12日。ドイツW杯の初戦で日本はオーストラリアと対戦した。 それまでは寒い日が続いていたが、この日は直射日光が射すように眩しく、気温も32度まで上がった。 グループリーグ突破のためには、この初戦は絶対に落とせない試合だった。クロアチア、ブラジルとの戦いが待っている状況にあって、オーストラリアは一番くみしやすい相手であり、勝ち点3が最も計算できる相手だったからだ。 はたして、試合は中村俊輔のゴールで日本が先制した。 「先制点を奪うことができて、オーストラリアの攻撃もそれほど脅威を感じなかった。どこかで追加点を取れれば、『このままいくな』と思っていました」 巻は、ピッチ上で勇ましく戦う選手たちが頼もしく見えた。 しかし、オーストラリアは後半8分、決定力のあるティム・ケーヒルを投入。一方で、日本は3バックの一角を担う坪井慶介が暑さと疲労で足がつり、11分に茂庭照幸と交代。そこから、徐々にオーストラリアへと流れが傾いていった。 さらに16分、オーストラリアは長身FWのジョシュア・ケネディを入れ、前線にロングボールを早めに入れてきた。暑さのなか、その攻撃に体力を奪われていった日本DF陣は、だんだんロングボールを跳ね返す力が鈍くなり、押し込まれる時間が増えていった。 「こういう状況でこそ、僕は生きる。『ここで出してくれ』って思っていました」 ベンチで試合を見つめていた巻は、そう思っていた。 だが、ジーコが交代選手に選んだのは、巻ではなかった。 (文中敬称略/つづく)◆巻誠一郎が見たドイツW杯の舞台裏>> 巻誠一郎(まき・せいいちろう)1980年8月7日生まれ。熊本県出身。大津高、駒澤大を経て、2003年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)入り。イビチャ・オシム監督のもと、着実に力をつけてプロ3年目にはレギュラーの座をつかむ。そして2006年、ドイツW杯の日本代表メンバーに選出される。その後、ロシアのアムカル・ペルミをはじめ、東京ヴェルディ、地元のロアッソ熊本でプレー。2018年に現役を引退した。現在はNPO法人『ユアアクション』の理事長として、復興支援活動に奔走している。
佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun