吉田麻也はなぜ、新天地にアメリカを選んだのか? 「ヨーロッパの都でやれることは、ほぼなくなってきた」
【日本に帰る選択肢も閉ざしてなかったけど...】 ── たしかにLAギャラクシーからのオファーは魅力的に聞こえます。 「誰に聞いてもアメリカの悪い情報がまったくなかったんですよ。ロサンゼルスの生活についてもいろんな人に聞いたんですけど、ダメって言う人はひとりもいなかった。来てわかったけど、まぁダメなわけがないなと」 ── 基本的には天気がよく、開放感があり、日本人も多くて住みやすい街ですよね。 「デュッセルドルフやロンドンより住みやすい街があるとは思ってなかったんですけど、本当に正直、住みやすいです。それで、生活のことはクリアしたので、あとは自分のサッカーのことですよね。 自分がオランダにいた時やイギリスにいた時って、まだあまり日本人が開拓していないところに行って『自分がパイオニア』と言うと大げさな表現になるけど、そうやってきたつもりでいたんです。 なので、じゃあ次はアメリカを切り開こう、みたいな。もちろん久保裕也君(FCシンシナティ)とか高丘陽平君(バンクーバー・ホワイトキャップス)とかもいるけれど、代表クラスでバリバリの日本人選手がアメリカにはいなかったので、自分が切り開いていきたいなと」 ── 開拓者的なモチベーションがあったのですね。 「僕、人と同じことやっていてもつまんないなって思うんです。あのタイミングでJリーグに帰ってやるのもすごくいいことだけど、僕じゃなくてもいいかなと。 今、日本プロサッカー選手会の会長をしていますけど、それも僕じゃないと絶対にできないと思っていたんですよ。やっぱりモチベーション高くいられることがすごく大事。僕がこの仕事をやらなくてもって思っちゃうと、気持ちが乗ってこないんですよね」 ── 日本に帰る可能性もあったのですか? 「自分としては選択肢にはいつもあって、全然閉ざしていたわけじゃないんだけど、オファーは来なかったですね。まぁ無理だろうって思われていたと思います。時間が経ってしまって、今さらこんなおっさんは......っていう年齢になってしまいましたね(笑)」