豪雨でも孤立…いまだ避難所も“二重災害”復旧の現実 能登半島地震まもなく1年
豪雨災害の爪痕が今もくっきりと残る珠洲市・大谷地区。災害のたびに住民が身を寄せてきた避難所『大谷小中学校』です。 地名坊暢子さん(86)。一度は、家族とともに、ほかの市へ避難しましたが、一人、ここへ戻ってきたそうです。 地名坊暢子さん 「珠洲の大谷というところへ。たとえ不便でも生まれ育った所やし、行きたいなあと思って。誰としゃべっても親しみがある。やっぱり生まれた所がいいなぁと」 この避難所を、1年近く守ってきたのが、区長会長の丸山忠次さん(70)です。 避難所の水道は、ようやく12月に入ってから復旧。しかし、地区の中には、いまだに水が出ない集落が、いくつもあります。 丸山忠次さん 「震災で5月ごろまで断水していた。そのあと復旧はしていた。ところが豪雨災害で、またダウンした」 地震と豪雨の二重災害は、水だけでなく、住まいの再建も遅らせました。 丸山忠次さん 「(Q.1年この生活を続けるというのは)考えられないですね」 もともと遅れていた仮設住宅ですが、豪雨によって、さらに建設が遅れ、先日、ようやく、避難所の隣に完成しました。丸山さんは、避難所にいる人たち全員が、早く、ここを出られることを望んでいます。 丸山忠次さん 「(Q.ここで年越しはさせたくない)そりゃそうですよ。自分の部屋で家族と一緒に、それが本来の姿でしょ」
テレビ朝日