FF、ドラクエの古き良き「思い出」を超えろ――絶滅危機を乗り越え、再注目されるドット絵
開発を手掛ける株式会社アクワイアの手を借りながら、2Dのキャラクターに3Dの背景をなじませた新たなドット絵が完成する。ランタンを手に持つキャラクターの動きに合わせて影が揺れる、奥から手前への移動で遠くのものがぼやけるなど、世界観のダイナミックな表現につながった。 「現代のタイトルと並んだときに他の作品と同じくらい面白く見えなければいけません。単に古風なRPGを作りましたではなく、そこから一歩踏み込んでちゃんと現世代機で遊ぶゲームとして成立させるというのが一番の難しさだったかなと思います」 同作は1カ月で100万本、今では累計250万本の出荷・DL販売を記録するまでとなった。かつてファミコンやスーパーファミコンなどでドット絵ゲームをプレーしたゲーマーも今や親世代。かつてのドット絵ゲームを知らない子どもと一緒に楽しんでいる、そんなファンの声も少なくないという。
激動の2000年代 翻弄され続けたドットクリエイターたち
ゲーム機「プレイステーション」や「セガサターン」が登場した1990年代。このころ家庭用ゲーム機は3D描写一色になり、ドット絵ゲームのプレゼンスは急速に失われていった。 ドッターと呼ばれるドット絵を手掛けたクリエイターたちは、陳腐化していく技術を前になす術がなかった。1995年からドッターとして活躍し、いまも株式会社エイリムで多数のドットキャラクターを手掛ける小林光さんはこう振り返る。
「僕の先輩とかはすごいしんどそうでしたね。当時、3Dのツールも英語版しかなかったですし。あとは女性のドッターがこれを機に専業主婦に転向されたりとか。ただ、意外とドット絵にしがみついている人は、そんなにいなかった印象です。未知なる3D技術への興味が勝っていて」 「プレイステーション」においては3D技術も発展途上のため、ドット絵にも表現力の面で活躍する余地があった。一気に潮目が変わったのは2000年「プレイステーション2」の発売。解像度、容量とともに表現力が飛躍し、制作コストが青天井に高騰する中で、ドット単体での仕事は2D格闘ゲームなどの一部を除いてほぼなくなっていく。 そんな窮地のドット絵業界を救ったのが、モバイルゲームだった。2001年ごろからJava対応の携帯電話が普及。Javaにより描画の効率化、通信機能のゲーム利用、安定性の向上が可能となる。「iアプリ」「EZアプリ」などの携帯電話キャリアのプラットフォーム上でオリジナルゲームが続々と配信され盛り上がりを見せた。多くのドッターと同様、小林さんもモバイルゲームへ転向。一度「なんでもあり」な3Dの世界に触れたことで、「かえってドット絵の魅力に気づかされた」と小林さんは語る。 「制限がある中で絵を描くのが好きなんです。容量しかり、解像度しかり、色数しかり。この中でどうやって収めようか、そういうところに遊びを求めてしまうんです」