自衛隊員が「重い火傷」を負った…硫黄島の地下壕「70度以上の灼熱地獄」の知られざる実態
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
滑走路直下の調査は平日不可
収集団が現地に滞在した2週間のうち、地下壕マルイチの内部調査の実施日は、土曜日と日曜日だけだった。この派遣期間では4日間だけということだ。平日は自衛隊機や米軍機が発着するというのが、厚労省側が説明した土日限定の理由だった。 その4日間のうちの初日は、9月28日土曜日だった。当日を前に団長から団員に対して、こんな連絡があった。 「マルイチの内部に入るのは1団体につき1名とします。当日までに誰が入るのかを決めてきてください」 体力がある人が望ましいということも伝えられた。高年齢者は参加を見送ってほしい、というような言い方にも聞こえた。つまりこれまでの壕と比べると、作業は危険度が高いということだと理解した。おそらく地熱が相当高いのだろう。実際、過去に自衛隊員がやけどを負う事故も起きている。僕も同じ目に遭うかもしれない。不安が脳裏をよぎる。 さらに僕は、狭い場所が怖い。出口の見えないところに入ると、恐怖を感じる。本能は「志願するな」と僕に警鐘を鳴らした。しかし、「滑走路下遺骨残存説」の真偽を自分の目で確認したいという思いが本能を上回った。それは「国民の知る権利」に応えなくてはならないという職業的使命感もあったと思う。使命感は本能を超えるのだと、この時、僕は知った。硫黄島防衛を使命とされた兵士たちの95%が命を捧げた理由の一端が分かった気がした。 ともあれ、僕は志願した。 調査を翌日に控えた9月27日。休憩時間に楠さんと会話した。その際、楠さんが前回まで過去3回行われたマルイチの内部調査すべてに参加していたことを知った。そしてこんな話をした。 「明日は予定通りいけばマルイチの調査ですね。ガス検知の結果、調査中止となったあの熱い壕よりも、さらに熱いんですか」 「熱いね」 即答だった。僕が10分もいられなかった、あの壕よりも苦しいのだ。 翌日の調査中止が伝えられたのは夕方だった。その日の作業の成果を報告し、翌日のスケジュールを確認するミーティングの席で、団長からこう告げられた。 「明日の地下壕マルイチの調査がですね、米軍のフライトが入った関係で、なくなりました。明日は本日の現場で作業の続きを行ってください。あさっての日曜日は、今のところ地下壕マルイチをやる予定です」 反論する人はいなかった。同胞の遺骨捜索よりも、米軍の事情が優先されるのだ。それが当たり前という認識が収集団には広がっていた。