自衛隊員が「重い火傷」を負った…硫黄島の地下壕「70度以上の灼熱地獄」の知られざる実態
まるでクフ王のピラミッド
28日のミーティングでは、翌29日は予定通りマルイチの調査を行えると団長から報告された。 いよいよだ。ミーティングから宿舎の自室に戻り、気を引き締めた。 2018年4月、滑走路下で初の遺骨が見つかったことを記事化する際、取材した厚労省担当者からはマルイチに関する情報を詳細に聞いていた。だからこの壕については、収集団員の中で僕が一番詳しかったかもしれない。 マルイチは滑走路の中心部にある。地中の空洞の有無などを調べる探索レーダーによって見つかった。コンクリート舗装を剥がして約5メートルの縦穴を掘ったところ、かつては階段だったとみられる下り坂の通路の最上部に繋がったということだった。 これはおそらく本来の入り口ではない。硫黄島の地下壕は地面ではなく、洞窟のように崖や斜面に入り口が設けられた。つまりかつてここには崖や斜面があったのだが、滑走路を造成するための平地化で削り取られた。さらにその上に5メートルの土が盛られ、壕は塞がれたということだ。当時の本来の入り口ではないところから、収集団員は内部に入る。まるで盗掘のために後世になって開けられた侵入口が現在の見学者用出入り口になっているクフ王のピラミッドのようだと思った。 最初の内部調査は有人ではなく、カメラを使って行われた。滑走路上からのレーダーの分析結果をもとに、空洞が延びていると推測される方向に数メートル間隔で滑走路上から垂直に穴を空け、遠隔操作できるカメラを入れた。そのカメラの映像により、地下壕の全長や天井の高さ、不発弾など危険物の有無をチェックした。その上で、有人調査に移行したのだった。 有人調査を一時中断させる理由となった自衛隊員の事故についても、厚労省の担当者から詳しく聞いていた。隊員が中に入り、壕の底にあった岩を手で持ち上げて除去したところ、岩があった所から熱風が吹き上げた。その熱風が腹部に当たった。熱は作業着越しに皮膚まで伝わり、重い火傷を負ったという経過だった。 マルイチの発見当初の内部温度は70度以上あったという。果たして明日の作業を僕は無事に済ますことができるのだろうか。その不安から午後10時の消灯時間が過ぎ、深夜になっても眠れなかった。 やむなくノートパソコンで映画「硫黄島からの手紙」を観ることにした。鑑賞するのは五度目か六度目だ。ストーリーは的確に話せるほど頭に刻み込まれていた。映画で描かれた戦闘の経過は概ね史実の通りだと思っていたが、実際に硫黄島を見た僕の感想は、事実と大きく違う点も少なからずあると気付いた。 その一つが、栗林中将が本拠地とした司令部と摺鉢山の距離。映画では実際よりもかなり近い描写をしていた。そんなことを考えているうちに、僕は眠りに落ちた。 つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)